実家の押し入れ

実家の片付けを始めたのは、先月のことだった。

父が入院することになり、一時的に実家を空けることになった。整理整頓のため、両親に頼まれて私が実家の片付けを引き受けたのである。

二階の部屋から手付けた。父の書斎、母の寝室、そして自分の子供時代の部屋。すべては十数年前、家を出て以来、ほとんど触れられていないままだった。

押し入れの扉を開けたとき、まず鼻についたのは、古い紙と樟脳(しょうのう)の匂いだった。

襖を開けると、そこには段ボール箱が十数個、壁のように積み上げられていた。子供の頃の教科書、卒業アルバム、父の古い書類。一つずつ箱から取り出し、分別していく。

三時間ほど経った頃、一番奥の隅に、何かがひときわ目に入った。

薄茶色の封筒が、壁際にそっと置かれていたのである。

サイズはA4くらい。表面には、黒いボールペンで「私宛て」と書かれていた。

宛名は、私の名前だった。

「……私の名前?」

私は封筒を手に取った。手応えは軽かった。中身は、おそらく数枚の紙。封はされていない。

なぜか指が震えた。

封筒を開けると、中からは一枚の便箋が出てきた。

その手書きの文字は、私のものだった。

いや、正確に言えば「私にそっくりな人が書いた、私の手書き文字」だった。

便箋には、こう書かれていた。

「明日の朝、必ず逃げて。遅くなったら、もう間に合わない。」

日付は、その日の翌日の日付になっていた。

「……どういうことだ」

私は封筒を何度も読み返した。文字の癖、筆圧、漢字の書き方。すべて私のそれと瓜二つだった。

しかし、私がこのような手紙を書いた記憶は、どこにもない。

実家に帰ってきてから、父に電話した。

「ねえ、父さん。押し入れに、私の名前の封筒が出てきたんだけど」

電話の向こうで、父はしばらく黙っていた。

「……それ、お父さんが置いたんじゃないよ。お母さんが、三十年前にお前が小さい頃に、何か書いてたんだっけ」

「三十年前?」

「覚えてないけど、お母さんが『いつか子供が見つけたら』って言ってたよ」

「……中身は何でした?」

「知らないよ。お母さんが亡くなる前に、全部捨てさせたって言ってたっけ」

私はその場ですぐに封筒をゴミ箱に捨てた。

その夜、実家の二階の一室で、私は毛布を敷いて寝た。

夜中、目が覚めた。

静かだった。

でも、何かが違う。

廊下から、かすかだが足音が聞こえた。

一歩、一歩。ゆっくりと、私の部屋の前に止まった。

扉の隙間から、薄暗い廊下の明かりが差していた。

足音は、私の部屋の前に止まったまま、動かなかった。

私は息を殺して、毛布の下で手机のライトをオンにした。

部屋のドアの隙間から、廊下の様子がうかがえる。

そして、そこで見たもの。

廊下の明かりが消えていた。

代わりに、床の間に、一つだけ、明かりが灯っていた。

それは、私がゴミ箱に捨てたはずの封筒だった。

便箋の表面が、かすかに白く光っていた。

そして、その文字が、ゆっくりと、変わっていくのが見えた。

「明日の朝、必ず逃げて。遅くなったら、もう間に合わない。」

その文字が、消えて、新しい文字が書かれていった。

「今、逃げて。」

私は毛布を蹴飛ばして、部屋の外へ走った。

廊下は暗闇だった。

封筒の光は、床の間にぽつんと残っていた。

階段を降りて、玄関のドアを開けて、外へ走った。

振り返ると、実家の二階の窓に、一人の影が立っていた。

その影は、私にそっくりだった。

影は、私を見つめていた。

そして、ゆっくりと、手を振った。

私は走った。二度と振り返らなかった。

次の日、警察に通報した。

警官が実家を訪れ、二階の部屋を調べた。

「……押し入れの奥の、壁際に何かありますね」

警官が壁際を覗き込むと、そこに、薄茶色の封筒が、一つ置いてあった。

宛名は、私の名前。

封筒の中身は、一枚の便箋。

そこに書かれていた文字は、私の手書き文字にそっくりだった。

「次は、逃がさない。」