実家の押し入れから、自分の名前の封筒が出てきた話
2026年11月15日
実家の片付けを始めたのは、先月のことだった。
父が入院することになり、一時的に実家を空けることになった。整理整頓のため、両親に頼まれて私が実家の片付けを引き受けたのである。
二階の部屋から手付けた。父の書斎、母の寝室、そして自分の子供時代の部屋。すべては十数年前、家を出て以来、ほとんど触れられていないままだった。
押し入れの扉を開けたとき、まず鼻についたのは、古い紙と樟脳(しょうのう)の匂いだった。
襖を開けると、そこには段ボール箱が十数個、壁のように積み上げられていた。子供の頃の教科書、卒業アルバム、父の古い書類。一つずつ箱から取り出し、分別していく。
三時間ほど経った頃、一番奥の隅に、何かがひときわ目に入った。
薄茶色の封筒が、壁際にそっと置かれていたのである。
サイズはA4くらい。表面には、黒いボールペンで「私宛て」と書かれていた。
宛名は、私の名前だった。
「……私の名前?」
私は封筒を手に取った。手応えは軽かった。中身は、おそらく数枚の紙。封はされていない。
なぜか指が震えた。
封筒を開けると、中からは一枚の便箋が出てきた。
その手書きの文字は、私のものだった。
いや、正確に言えば「私にそっくりな人が書いた、私の手書き文字」だった。
便箋には、こう書かれていた。
「明日の朝、必ず逃げて。遅くなったら、もう間に合わない。」
日付は、その日の翌日の日付になっていた。
「……どういうことだ」
私は封筒を何度も読み返した。文字の癖、筆圧、漢字の書き方。すべて私のそれと瓜二つだった。
しかし、私がこのような手紙を書いた記憶は、どこにもない。
実家に帰ってきてから、父に電話した。
「ねえ、父さん。押し入れに、私の名前の封筒が出てきたんだけど」
電話の向こうで、父はしばらく黙っていた。
「……それ、お父さんが置いたんじゃないよ。お母さんが、三十年前にお前が小さい頃に、何か書いてたんだっけ」
「三十年前?」
「覚えてないけど、お母さんが『いつか子供が見つけたら』って言ってたよ」
「……中身は何でした?」
「知らないよ。お母さんが亡くなる前に、全部捨てさせたって言ってたっけ」
私はその場ですぐに封筒をゴミ箱に捨てた。
その夜、実家の二階の一室で、私は毛布を敷いて寝た。
夜中、目が覚めた。
静かだった。
でも、何かが違う。
廊下から、かすかだが足音が聞こえた。
一歩、一歩。ゆっくりと、私の部屋の前に止まった。
扉の隙間から、薄暗い廊下の明かりが差していた。
足音は、私の部屋の前に止まったまま、動かなかった。
私は息を殺して、毛布の下で手机のライトをオンにした。
部屋のドアの隙間から、廊下の様子がうかがえる。
そして、そこで見たもの。
廊下の明かりが消えていた。
代わりに、床の間に、一つだけ、明かりが灯っていた。
それは、私がゴミ箱に捨てたはずの封筒だった。
便箋の表面が、かすかに白く光っていた。
そして、その文字が、ゆっくりと、変わっていくのが見えた。
「明日の朝、必ず逃げて。遅くなったら、もう間に合わない。」
その文字が、消えて、新しい文字が書かれていった。
「今、逃げて。」
私は毛布を蹴飛ばして、部屋の外へ走った。
廊下は暗闇だった。
封筒の光は、床の間にぽつんと残っていた。
階段を降りて、玄関のドアを開けて、外へ走った。
振り返ると、実家の二階の窓に、一人の影が立っていた。
その影は、私にそっくりだった。
影は、私を見つめていた。
そして、ゆっくりと、手を振った。
私は走った。二度と振り返らなかった。
次の日、警察に通報した。
警官が実家を訪れ、二階の部屋を調べた。
「……押し入れの奥の、壁際に何かありますね」
警官が壁際を覗き込むと、そこに、薄茶色の封筒が、一つ置いてあった。
宛名は、私の名前。
封筒の中身は、一枚の便箋。
そこに書かれていた文字は、私の手書き文字にそっくりだった。
「次は、逃がさない。」