クリーンルームの床を拭く人
2026年07月26日
【第1回 現場確認メモ / 2025年12月4日】
担当:環境衛生部 安全監視員 訪問先:半導体プロセス工場 北棟クリーンルームC-7
本件の起因となった通報は、同フロア清掃スタッフ(以下「清掃者」)からのもの。本人曰く、床洗浄時に使用されている有機溶剤「SS-SOLV-5」が通常反応を呈しているとのことであった。
【第2回 作業員証言 / 2025年12月7日】
以下は清掃担当の田端信吾(51)へのヒアリング記録。)
Q. なぜ異変に気づいたのですか?
A. 床を拭くたびに、汚れが「落ちない」ことに気づきました。普通なら一往復で白くなる床面が、三往復しても濁ったままになる。それに洗剤の匂いも変わってきた。「いつもと違う」って思ったわけです。
Q. どういう風に?
A. 鼻につけるような鋭さじゃなくて……喉に沈み込むみたいになった。吐き気がして、そのうち床に膝をつくようになった。
清掃者は、その後「自分の手首が赤くなっている」と報告した。
【第3回 環境データ / 2025年12月8日 23:47】
クリーンルームC-7内気相モニタリング結果(自動記録抜粋):
| 物質名 | 濃度(ppm) | 基準値上限(ppm) |
|---|---|---|
| メチルエチルケトン | <0.1 | 2500 |
| エタノール | <0.1 | — |
| 未同定成分A | 87 | — |
※「未同定成分A」の定性はHPLC-MS解析では検出不能。GC-OuDIMSによる頭頂部微量成分と同定済みで、元々は人体汗腺分泌物に由来する揮発性物質と推測される。
このデータの意味:クリーンルーム内部に人間の「外液」が混入している可能性を示す数値である。「SS-SOLV-5」の主成分エタノールが0.1ppm以下という結果は、その液体に人体由来の化学物質が溶け出して検出限界まで希釈されたことを意味する。
【第4回 清掃者の自宅訪問記録 / 2026年1月3日】
田端宅を訪問した際、玄関を開けた田端自身から異臭を感じた。原因は彼の「衣服」であった。清潔ルームワークスーツを着用していたはずの彼が、洗剤ですすいでも一向に匂いが取れないのだと言っていた。「もう外に出たら汚れてしまう」と言い残し、再度工場に戻るという。
彼の右手掌には赤みが残り、指先から爪にかけては黒ずんでいた。皮膚科受診をすすめたが、断った。断りの理由:「病院に行くと、看護師のマスクが僕の匂いで溶ける」。
【第5回 最終記録(回収品)】
田端信吾は2026年1月3日以降工場出勤停止とされている。ただしクリーンルームC-7の床洗浄記録には彼の「清掃作業」欄が一ヶ月間欠番なしで記録されており、それは清掃者が不在であることを示すのではなく、彼が「依然として存在する」ことを意味している可能性がある。
環境衛生部への最終連絡(2026年1月29日 18:32)は以下の通りであったとされる:
“SS-SOLV-5の代わりに、僕を使え”
この文書は回収時に彼のロッカーの中から発見された。手書きによるものであるが、彼の筆跡とは字形が異なると確認されている。
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