実録: 地方の実家の納屋から聞こえる足音
2026年09月10日
実話。2023年の冬の話。
僕の実家は岐阜県の山奥にある。祖父母が建てた平屋の家だ。裏手に小さな納屋があって、子供の頃から「あそこは入れない」と言われて育った。
納屋の鍵はいつも錆びついていて、祖母が鍵箱に隠している。開けるのは年に数回、農具や道具を出す時だけだった。
父が亡くなったのは3年前の秋のこと。心臓発作で、朝、納屋の近くで倒れていた。見つかった時、納屋のドアは少し開いていた。
父が亡くなった後、実家に戻ることが増えた。ある夜、2時頃のことだ。
納屋から、足音が聞こえた。
カチ、カチ、カチ。
木造の納屋には、古い床板が敷いてある。子供の頃、よくその床板が鳴る音で遊んだ。あの音は忘れない。
「お父さん?」
祖母がぼそっと言った。痴呆症が進んでいて、父が亡くなったことを覚えていない時もある。
「お父さんはもういないよ」
「でも、足音がする」
確かに、足音がする。ゆっくりと、納屋の中を歩いている。
「お父さんが納屋にいる」
祖母が言った。
「お父さんが納屋に入れたはずがない。鍵は祖母が持っている」
「お父さんは、鍵を開けられるんだ」
祖母が言った。
その時、足音が止んだ。
そして、納屋のドアが、ゆっくりと開く音がした。
ガチャン。
僕らはその場で動けなかった。
次の日、納屋のドアを開けた。鍵は錆びたままだった。開けられていない。
しかし、納屋の床板に、泥の足跡があった。
大人のもの。
僕らは納屋を調べた。道具は全部ある。父の遺品も、昔のままの場所に置かれていた。
しかし、父の靴がない。
父が亡くなった時、納屋の近くで倒れていた。その時、父は靴を履いていた。
靴は、納屋の中にはない。
「お父さんが、靴を履いて納屋に入った」
祖母が言った。
「お父さんが、また納屋に入るんだ」
僕はその夜、実家に泊まらなかった。
次の日、祖母に「昨夜、足音がしたよね」と聞くと、祖母は微笑んだ。
「お父さんは、毎日納屋に来るんだ」
「毎日?」
「毎日、決まった時間に」
「何時に?」
「夜中の2時」
その時、僕は思った。
父が亡くなった時、納屋のドアは少し開いていた。
それは、父が開けたのか、それとも誰かが開けたのか。
靴は、どこに行ったのか。
そして、なぜ納屋から足音が聞こえるのか。
僕は実家を後にした。
その後、実家に戻った時、祖母は言った。
「お父さんが、また納屋に来たよ」
「昨夜も、2時だった」
「毎日、2時に来る」
「お父さんは、納屋の中で何をしているんだろう」
僕は納屋のドアを開けなかった。
鍵も開けなかった。
ただ、毎夜、2時が来るのが怖かった。
カチ、カチ、カチ。
木造の納屋の床板が、鳴る音。
僕は、その音を、今でも覚えている。