浴室の鏡が0.5秒遅れて動くようになった
2026年08月19日
実は昨日、自分の鏡に違和感を覚えた。
朝の歯磨き。いつものように洗面台に立ち、鏡に映る自分の顔を見ながら歯ブラシを動かしている。普通のことだ。
ただ、ふと気がついた。
自分の顔が、0.5秒ほど遅れて動いているのだ。
最初は気のせいだと思った。眠いからだろうと、目をこすりながら鏡を見直した。すると、鏡の中の自分が、実際に目こすりをする0.5秒後に同じ動作を再現していた。
「……?」
背筋が凍った。鏡の中の自分が、ほんの少しだけ、遅れて追従している。
最初は0.5秒だった。それが日を追うごとに遅れていく。
翌日、1秒。 その翌日、3秒。 三日後には5秒の遅れになっていた。
鏡に驚いた自分が映り、その5秒後に鏡の中の自分が驚いた顔をする。自分自身が生々しく恐怖に震える姿を、5秒遅れで間近で見せられる。
もう鏡を見られない。
でも、見ないわけにはいかないことがある。
歯磨き。顔を洗う。髭を剃る。
朝のルーティンはすべて鏡との対話だ。
昨日、鏡の遅れは10秒になっていた。
「あーっ」
起きた瞬間の絶望的なため息が、10秒後に鏡の中で繰り返される。
朝から、自分の絶望を10秒遅れで二度味わわされる。
今日は鏡の前に立たないで出かけることにした。外で鏡を確認した。自分の顔は正常に動いている。外の世界の鏡は、遅れない。
家の中の鏡だけが、遅れていく。
今、これを書いている時も、背後の鏡が気になって仕方がない。
自分が今何をしているのか、10秒後に鏡の中で再現されるのか。
それとも、もう遅れが無限大になっていて、鏡の中には何も映っていないのか。
鏡を布で覆った。
しかし、今夜、布を捲ってみると——
鏡の中の自分が、布を捲る動作を、すでにしていた。
遅れは逆転していた。