ビジネスホテルのドア

先月の話。僕は東京から新幹線で地方都市へ出張に行った。

最終日の夜、帰りの新幹線までまだ三時間ほどあった。荷物をホテルの部屋に置きっぱなしにして、近くのカフェでネットにつなごうとした。

部屋に戻ったのは午後十一時半頃。廊下の電気が少し暗めなビジネスホテルだった。カードキーでドアを開け、慣れ親しんだ無臭の部屋に入った。

エアコンをつけ、鞄を下ろし、シャワーを浴びた。

夜中二時頃、トイレに行きたくなってベッドから起き出した。

その時、ふと気づいた。

ドアの下の隙間から、廊下の薄暗い光が部屋に入っていること。

僕はドアを閉めた。鍵もかけた。確認した。

もう一度、確認した。

しかし、隙間から光が漏れている。

ゆっくりと、ベッドの縁まで届いている。

僕は静かに、ベッドから降りた。足音が怖かった。

ドアに近づき、ノッカーの穴から外を見た。

廊下は空いている。電気の光はある。でも、誰もいない。

おかしい。自分が閉めたはずのドアが、なぜか少し開いている。

しかし、ノッカーの穴から見た廊下には誰もいない。

もし誰かが開けたなら、その人が今、廊下に立っているはずだ。

でも、誰もいない。

僕はドアを強く押さえた。閉まる。

そして、鍵をかけた。

その瞬間だった。

ノッカーの穴から、誰かの目が覗いてきた。

廊下には誰もいない。廊下が空なのに、ノッカーの穴から、ちょうど目の高さで、誰かが部屋の中を覗き込んでいた。

僕は声も出せなかった。

その目は、ゆっくりと、右に左に動いた。部屋の中を、見回している。

そして、ノッカーの穴から、指が一つ、穴に押し当てられた。

穴の部分が、白く、透けて見えた。

僕は後ろに下がり、ベッドにもぐり込んだ。寝装を被り、目を閉じた。

何分経ったか。

息をするのも怖かった。

ふと、音が聞こえた。

ドクン、ドクン、ドクン。

ドアをノックする音。

ゆっくりと、一定のリズムで。

そして、止んだ。

次の瞬間、鍵穴から、何か細いものが挿し込まれる音。

鍵を回そうとしている。

僕は鞄の中に入っていた懐中電灯を取り出し、ドアに向けて光を当てた。

光がドアの隙間から廊下へ漏れる。

そして、光の中に、誰かの足が立った。

ノッカーの穴から覗いた目と、同じ高さの位置に、足があった。

廊下が空だったはずだ。

でも、足は確かにそこにあった。

その時、ドアの取っ手が、ゆっくりと、下へ降りていった。

僕は叫んでドアを開けた。

廊下は空だった。

取っ手は、下から上に、ゆっくりと戻っていった。

鍵はかかったままだった。

次の日、フロントに電話をした。

「昨日の夜、何かありましたか?」

「ああ、お掃除のスタッフが部屋に入ろうとされたみたいですよ。鍵がかかっていたので、入れませんでしたって。」

お掃除のスタッフ。

でも、その時間にお掃除のスタッフが来ることはあるのか。

そして、なぜ廊下には誰もいなかったのか。

僕は荷物をまとめ、ホテルを離れた。

それ以来、ビジネスホテルには泊まっていない。

でも、たまにふと考えることがある。

もし、その時、ドアを開けていなかったら、何が起こっていたのか。

もし、その時、廊下に誰もいなかったのなら、鍵を回していたのは何だったのか。