ビジネスホテルのドア
2026年11月22日
先月の話。僕は東京から新幹線で地方都市へ出張に行った。
最終日の夜、帰りの新幹線までまだ三時間ほどあった。荷物をホテルの部屋に置きっぱなしにして、近くのカフェでネットにつなごうとした。
部屋に戻ったのは午後十一時半頃。廊下の電気が少し暗めなビジネスホテルだった。カードキーでドアを開け、慣れ親しんだ無臭の部屋に入った。
エアコンをつけ、鞄を下ろし、シャワーを浴びた。
夜中二時頃、トイレに行きたくなってベッドから起き出した。
その時、ふと気づいた。
ドアの下の隙間から、廊下の薄暗い光が部屋に入っていること。
僕はドアを閉めた。鍵もかけた。確認した。
もう一度、確認した。
しかし、隙間から光が漏れている。
ゆっくりと、ベッドの縁まで届いている。
僕は静かに、ベッドから降りた。足音が怖かった。
ドアに近づき、ノッカーの穴から外を見た。
廊下は空いている。電気の光はある。でも、誰もいない。
おかしい。自分が閉めたはずのドアが、なぜか少し開いている。
しかし、ノッカーの穴から見た廊下には誰もいない。
もし誰かが開けたなら、その人が今、廊下に立っているはずだ。
でも、誰もいない。
僕はドアを強く押さえた。閉まる。
そして、鍵をかけた。
その瞬間だった。
ノッカーの穴から、誰かの目が覗いてきた。
廊下には誰もいない。廊下が空なのに、ノッカーの穴から、ちょうど目の高さで、誰かが部屋の中を覗き込んでいた。
僕は声も出せなかった。
その目は、ゆっくりと、右に左に動いた。部屋の中を、見回している。
そして、ノッカーの穴から、指が一つ、穴に押し当てられた。
穴の部分が、白く、透けて見えた。
僕は後ろに下がり、ベッドにもぐり込んだ。寝装を被り、目を閉じた。
何分経ったか。
息をするのも怖かった。
ふと、音が聞こえた。
ドクン、ドクン、ドクン。
ドアをノックする音。
ゆっくりと、一定のリズムで。
そして、止んだ。
次の瞬間、鍵穴から、何か細いものが挿し込まれる音。
鍵を回そうとしている。
僕は鞄の中に入っていた懐中電灯を取り出し、ドアに向けて光を当てた。
光がドアの隙間から廊下へ漏れる。
そして、光の中に、誰かの足が立った。
ノッカーの穴から覗いた目と、同じ高さの位置に、足があった。
廊下が空だったはずだ。
でも、足は確かにそこにあった。
その時、ドアの取っ手が、ゆっくりと、下へ降りていった。
僕は叫んでドアを開けた。
廊下は空だった。
取っ手は、下から上に、ゆっくりと戻っていった。
鍵はかかったままだった。
次の日、フロントに電話をした。
「昨日の夜、何かありましたか?」
「ああ、お掃除のスタッフが部屋に入ろうとされたみたいですよ。鍵がかかっていたので、入れませんでしたって。」
お掃除のスタッフ。
でも、その時間にお掃除のスタッフが来ることはあるのか。
そして、なぜ廊下には誰もいなかったのか。
僕は荷物をまとめ、ホテルを離れた。
それ以来、ビジネスホテルには泊まっていない。
でも、たまにふと考えることがある。
もし、その時、ドアを開けていなかったら、何が起こっていたのか。
もし、その時、廊下に誰もいなかったのなら、鍵を回していたのは何だったのか。