デパートの七階に、階段があった話
2026年08月21日
知人の話なので、そのまま伝える。
知人の女性(31歳、大阪・梅田の百貨店で販売勤務)の話だ。
彼女が勤める百貨店は、地下二階から七階まである大型店舗だった。一階がファッション、二階がアクセサリー、三階がコスメ、四階が食料品、五階が子供向け、六階がレストラン街、七階が映画館とイベントホール――そんな構成だった。
知人は週に三回、深夜のパートに入っていた。閉店後の棚整理と、翌日の陳列替えだ。大体二十三時から翌朝七時までの八時間。
知っていた。七階にはエレベーターが一台しかないことを。なので、地下から七階まで上がる時は、四階と五階を挟んで、階段を使わなければならないことも。
階段は、エントランスから一番奥の、トイレの隣にあった。目立たない場所だ。
「あの階段、夜中に行くと妙に涼やみだよ」
彼女は最初はそう思っていた。冷房が効きすぎているのだろうと。
ある日のこと、彼女は七階のイベント会場の設営を手伝うことになった。終業時間が二十三時を回っていた。設営が終わり、荷物を運んで、ようやく退勤の時間になった。
エレベーターは五階で止まる。七階に行くには、そこから階段を上がらなければならない。
「えー、階段か」
彼女はため息をついて、エレベーターから降りた。五階の食品売り場はすでに暗くなっていた。陳列されていたパンやケーキが、薄っすらと残った照明に照らされている。その静かな空間を、彼女の靴音が響かせていた。
エレベーターホールの横にある階段への入り口。いつもの場所だ。
彼女はドアを開けた。
階段が、そこにあった。
鉄製の階段。手すり。壁に貼られたタイル。蛍光灯。どこにでもある階段だった。
彼女は足を踏み入れた。
一歩目。
「……?」
足音が、おかしい。
靴音が、二つ聞こえたのだ。
彼女の足音。そして、彼女の足音の、少し遅れて響く、もう一つの足音。
「……echo?」
彼女は振り返った。
廊下は暗い。エレベーターホールの照明は、消えかけていた。その暗闇に、誰かの姿はなかった。
「気のせいだろう」
彼女はそう自分に言い聞かせ、階段を上がった。
二階。三階。四階。
各階の踊り場を上がるたび、足音が一つ増えるような感覚があった。彼女自身の足音。そして、階段の奥から聞こえる、もう一つの足音。
その足音は、彼女より一歩遅れて、同じリズムで響く。
彼女は走った。
五階の踊り場を駆け上がり、六階の踊り場を駆け上がり、七階の階段の出口に手をかけた時、彼女は気づいた。
階段を上る間、足音が三つになっていたことを。
彼女の足音。そして、二つの足音。
彼女が振り返って階段を降りようとした時、階段の下のほうに、誰かが立っているのが見えた。
エレベーターホールの入り口。暗闇の中に、白い服を着た女性が、じっと上を見上げていた。
その女性は、彼女と同じ方向を向いていた。階段の上を見上げて。
そして、ゆっくりと、首を傾げた。
知人が七階の出口を開けて、外に出た時、彼女は振り返って階段をもう一度見た。
階段は、暗いままだった。誰もいなかった。
「……でも、足音がした」
彼女は言う。
階段の下のほうから、彼女が階段を下りる足音を、二つ聞いたと。
彼女が階段を降りる前に、すでに下りていた人の足音が。
彼女の足音より一歩遅れて、同じリズムで響いていた。
それ以来、彼女は階段を使わないようにしている。エレベーターが五階で止まるなら、七階まで歩くしかない。でも、彼女はタクシーを使うようになった。
梅田の百貨店の七階に、階段があることは、今でも知っている。
でも、もう行かない。夜中に。