データグラフ。緑色の棒が順調に建っている途中から赤いバツ印が降りかかり、右端の欄には薄紅色で「削除済」と記載された病院の電子カルテ管理画面イメージ

外部監査人は患者データの整合性を検証する——ただし、検証先のデータそれ自身が「整合」した結果である可能性を排除できない。 — 独立調査基準(改定版)第1条


私に割り当てられた任務は明確だった。市立東病院の電子カルテシステムから過去三年分の患者記録をサンプリングし、データベースと実存患者名の「齟齬」がないか確認するということ。外部監査法人からの要請で、二年ごとに実施されている標準業務だ。

だが今回のデータには前例のない現象が検出された。「ID整合エラー」というアラートが三千四百件発生したのである。

データベースから抽出したエラー一覧テーブル。左列に患者番号、右列に「システム内検索結果: 0件」と赤文字で表示されている

該当する患者番号をカルテシステムで検索しても、当該レコードはゼロ件。「過去に確かに存在していたはずの記録が」消えているのではなく、「最初からなかったかのような経路を描く」データが存在しているのだ。 — 監査担当者C氏メモ(4月12日)


調査員の視点ではまずデータベースのバックアップと照合する。システム管理者に「三年分のスナップショットを出力してもらう」と依頼したが、応答は三日後に届いた。

返ってきたバックアップには、三千四百件の全患者記録が欠落していた。ただしログに残る追跡情報を見ると、バックアップ作成時にはデータが存在したことを示すタイムスタンプが残っており、「なぜ消えたか」の理由自体がシステム上に残っていない。

サーバーログ画面。削除操作は行われておらず「正常保存」のまま、データが消失していることが判る

ログに『削除コマンド』という痕跡はない。つまりこれは人為的な抹消ではなく、何らかの自動処理によってレコード同士が合体・書き換えられた状態だと思える。だがその根回しの説明には誰も同意しない。 — 前出C氏メモ(4月19日)


私は現場訪問を依頼した。「データ上の齟齬」だけを見ていては意味が不明なので、実際の診療カルテの肉厚を確認したいと申請したが、施設側からの返答に驚いた。

「その要求は受託監査業務の範囲外です」という返信に加えて、「患者さんのプライバシー保護のため、個別記録の目視にはお応え致しかねます」と追記されていた。その言葉の下に小さく加えられた一文が私の背中に冷たい息を走らせた。

「ただし、本件で問題となっている三千四百件のうち一部につきましては、物理記録は既に廃棄済みとの報告がございます」

物理記録の存在をシステムと実態が一致しているという前提だったはずだ。だがこの病院では、「削除済みの患者データ」という概念そのものが公式に運用されているのだ。

施設側から返信された電子メール画面。「既廃棄済み」と明記された行のみを赤枠囲みしたスクリーンショット

三件の中から偶然見つけた実名が、私の従妹の名前だった。彼女は入院歴など決してないと言っていた——あるいは、私に知られる前に誰かが消したのかもしれなかったか? — C氏手帳の破ったページ(5月3日)


独立調査基準第2条によれば、「外部監査人はデータソースの改竄を疑ってもよく、しかし当該施設の公式見解に対して異議申し立て権は持ちません」とされている。私は「ゼロ件として返ってきた三千四百件」の内、十件ほどを手作業で病院内のカルテ棚から逆引きしようとした。

だがその結果としてわかったのは、棚に並ぶカルテの並び順序自体がシステム上の表示順と完全に同期しているということだった。つまり、現場に「物理的に残っているカルテ」というものがそもそも存在しないのか、あるいは逆に——消されたはずの三十何件がなぜか物理記録としては保管されているものがあるのか。

倉庫内のキャビネットを横から撮影した写真。奥には無数に並んだファイルフォルダの山と、一部のファイルだけが見切れている状態

C氏曰く:「棚から目視確認したら残ってた。ただし名前が読めない。なぜか全部裏返しのまま収められている」。さらに驚いたのは、そのうち数冊の名札欄にセロハンテープで貼られた見出しの文字がすでに剥がれかかっていることで、それはまるで『誰かが消した名を残そうとしていた』痕のように見えた。


報告書は提出した。だが受理されたかどうかの通達はこない。

私のもとに残ったのは「調査完了通知」というPDFファイルと、施設からの挨拶状だけである。その中に一節があった。「貴殿のご尽力、誠にありがとうございました。なお次回監査は三年後を予定しております」

次の三年間の監査では三千四百件の齟齬が再び検出されることとなる。だが今度は私ではなく別の人が対応することになる——そして同じ疑問を抱き、同様の結論に達することすら、もうあり得ないのかもしれなかった。

空白のモニタ画面。カーソルだけが点滅し、それ以外何も表示されない

「このファイルを開いた直後に突然モニタが白くなって……以降は誰も確認できない。『次回の監査担当者が何を理解するだろう』と問われても私は答えを知らない」 — 後任者のメモ欄にはこう書かれていた(5月28日)


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