僕が住んでいるマンションは、東京・中野区の築二十年の一三七戸。十階建てで、エレベーターが一台、非常階段が二つある。

僕は二階に住んでいる。夜中に出かける用事ができたのは、三ヶ月前のことで、友人と飲みに行ったあと、終電を逃してタクシーを呼んだ。

でも、タクシーが来ない。アプリの表示では、運転手が「三十分ほどお待ちください」と返してきた。

仕方ないので、エントランスのベンチで待っていた。

その時、エレベーターのベルが鳴った。

深夜の二時半。エレベーターが動くことは、ほとんどない。

ドアが開く。中に誰もいない。点灯したフロア表示は、一階だった。

「……」

僕はエレベーターに乗った。二階を押して。

エレベーターが動き出した。一階から二階へ。

でも、表示が止まらない。

三階。四階。五階。

僕がいるのは二階だ。エレベーターは、二階を通過したはずだ。

「おかしいな」

僕は再入力ボタンを押そうとした。その時、エレベーターが停止した。

表示には、「七階」と出ている。

七階。僕が住んでいるのは二階。七階には、何があるのか知らない。住んでいる人がいるのかさえ、知らない。

ドアが開いた。

廊下が、見えた。

明るかった。普通の廊下。天井の蛍光灯が点いていて、床はタイル張り。壁には掲示板があり、宅配ボックスが並んでいる。

でも、誰もいない。

エレベーターのベルが鳴った。「ピー、ピー、ピー」。ドアが閉まる合図だ。

僕はエレベーターに戻った。三階を押した。

でも、表示は七階のまま。

「七階、七階……」

表示が、七階のまま点滅を始めた。

その時、エレベーターの隅に設置された小さな鏡に、何か映った。

廊下の人。

七階の廊下に、人が立っていた。白衣を着た人物が、エレベーターの方をじっと見つめている。

でも、七階には誰も住んでいない。住んでいる人がいるのか、僕は知らない。

エレベーターが、ゆっくりと動き出した。

表示が、七階から一階へ、戻り始めた。

三階で止まった。僕がいる階だ。

でも、ドアが開かない。

「開いて」

再入力ボタンを連打した。

その時、エレベーターのスピーカーから、かすかな声が聞こえた。

「……階、違いますよ」

男の声。冷静で、どこか冷たい。

僕はエレベーターの中を見回した。誰もいない。

「誰? 誰が話してるの?」

返事はない。

その時、ドアが開いた。二階の廊下が、見えた。

僕は飛び出して、エレベーターから逃げ出した。

その後、エレベーターのボタンが、ずっと点灯し続けた。七階のボタンだけ。

翌日、管理人に聞いた。

「七階って、どうなってるんですか?」

管理人は、不思議そうな顔をした。

「七階? この建物に七階なんて、ありませんよ」

「え、でも、昨日、エレベーターが七階で止まって……」

管理人は、黙って、しばらく考えてから、小さく言った。

「この建物は、もともと十一階建ての計画だったんです。でも、途中で計画が変更されて、十階建てで竣工した。七階の分は、床だけ作って、あとはコンクリートで埋めてある」

「……七階の床が、残ってるんですか?」

「ええ。エレベーターシャフトの中に、七階の床が、そのまま残ってるんです。でも、エレベーターは七階には止まりません。ボタンもない」

「でも、昨日、七階のボタンが点灯して……」

管理人は、黙って、エレベーターの前まで歩いていった。

ボタンを確認した。

七階のボタンはない。

「……昨日、七階のボタンが点灯していましたよ」

管理人は、黙って、エレベーターの点検口を開けた。

奥には、ケーブルと、モーターが見えた。

そして、その奥に、コンクリートの壁。

七階の床が、残されていた。

管理人は、点検口を閉めた。

「もう、大丈夫だと思いますよ」

でも、僕は知っている。

七階のボタンが、いつかまた点灯するだろうということ。

そして、その時、エレベーターの鏡に、白衣の人物が、また映るだろうということ。

昨夜、僕はエントランスを通りかかった。

エレベーターのベルが、鳴った。

ドアが開く。中に誰もいない。

点灯したフロア表示は、七階だった。

深夜のエレベーター