集合住宅のエレベーターに、私がいない私が見つかった話
2026年10月08日
17階のエレベーターで、もう一人の私が私を待っていた
実話です。知人の話ではなく、自分の体験。
僕は一昨年の春、東京・世田谷の17階建てアパートに引っ越してきた。4階の角部屋、家賃は手頃だった。でも今思えば、あの安さは決して甘くなかった。
最初の違和感は、引っ越して三週間目だった。
毎晩、深夜二時前後に目が覚める。理由はわからない。ただ、なぜかその時間になると、無意識にリビングの窓から外を見ることになる。
その夜も同じだった。カーテンの隙間から道路を覗くと、奇妙なものが見えた。
アパートの正面に設置されたエレベーターの待機場所——地下から上がってくるエレベーターの筐体が、17階の手前で止まっているのだ。
でも、僕の家には誰も来ない。深夜二時に。
「たまたま Maintenanceかな」
そう自分に言い聞かせた。次の日、大家さんに聞いても「いや、点検なんて聞いてない」と首を振る。
しかし、その夜も同じことが起きた。エレベーターが17階の手前で止まり、中の電気が点いている。
そして、その夜、僕は初めてエレベーターの中から外を見た。
カーテンの隙間から、エレベーターのガラス越しに、中にいる人影が見えた。
暗い中で、ぼんやりと。
しかし、その影の姿勢——両手を前に組んで、直立している——が、妙に僕自身に似ていた。
「たまたま」
そう思うには、四日目にはすでに遅すぎた。
四日目、僕は深夜のエレベーターを、直接見届けることにした。窓から五十メートル離れた場所から。
エレベーターが17階の手前で止まる。中の電気がつく。
そして、人が降りてくる。
エレベーターの扉が開き、人影が一歩、踏み出した瞬間、僕は背筋が凍るのを感じた。
その人影が、僕の方を向いて、ゆっくりと首を傾げたのだ。
そして、口を動かした。
声が聞こえなかった。五十メートルも離れているのだから、当然だ。
でも、唇の動きははっきりと読めた。
「お帰りなさい」
その言葉が。
僕は逃げた。その夜から、深夜に家を出ることにした。
でも、五日目以降、エレベーターが止まることはなくなった。
かわりに、毎朝、エレベーターのボタンに、小さな指紋が一つ、付いているのだ。
17階のボタンに。
押した痕跡はない。でも、埃が拭き取られて、17階のボタンだけが、なぜかきれいに光っている。
エレベーターは、17階で止まらない。
でも、17階のボタンだけが、毎朝、きれいになっている。
そして昨日、エレベーターのメンテナンスの人が来た。
「階層ボタン、17番が効いてるんですよ。誰かが押してるみたいですね」
「17階には誰も住んでいませんよ」
「え? じゃあ、誰が——」
その時、メンテナンスの人が言った。
「17階、実は……完成当時は住戸があったんです。でも、入居者が一人も決まなくて、ずっと空室なんですよ。ボタンだけ残ってて」
「えっ」
「でもさ、おかしいよね。誰も住んでないのに、毎日毎日、17階のボタンが押されてるわけ。埃一つないんだから」
彼はそう言って、首をかしげた。
僕は黙ってその場を離れた。
今夜も、もうすぐ深夜二時だ。
窓から外を見ると、エレベーターの筐体が、17階の手前で止まっている。
中の電気がつく。
人影が、扉を開ける。
そして、降りてくる。
今、僕の目の前にいる。