施設三号館の平面図に赤ペンで書き込まれた無記号の部屋番号

「本文書は、認知症介護施設の職員間トラブルを機に回収されたメモおよび記録です。」

看護師A(夜勤・2ヶ月目)の証言

入職した最初の週から違和感が続いた。三号館の三階は床枚数から算出して十室しかなく、ベッドも十個しかないはずなのだが、毎日の見廻りで常に「余った一床」を確認するのだ。「あそこに誰かいる」と夜勤の先輩が指し示した先のベッドには、いつも寝巻を着た男がいる。名札のないまま、ただ寝ているだけだ。

「ああ、ああいう人ね。名前は聞かれても答えられないのよ。記録にも『無記号・三07』ってなってる」

そう言われたとき初めてレセプトを確認した。三号館のベッド番号は「一〇一~一十」まで。三〇七など存在しない。

入院歴調査ログ(2週間後)

施設に在籍する全二十七名の患者名簿と照合を行った結果、次の事実を記録する。

■確認不可能:37件 ■該当者なし:18件 ■存在疑義:49件

いずれも三号館の三階のベッド番号から割り出されたものであった。名札がないだけではない。名が存在しないのだ。

元職員Bからの電話記録(2026年5月・退勤後)

「ああ、あそこね。もう閉鎖したのよ」

「なぜですか?」

「理由なんて決まってるでしょ。患者が実在しなくなったから」

「実在しないってどういう意味です?」

電話の向こうでの沈黙が三秒ほどあった。

「お前の勤めてる三号館三階……実はいくらベッドを造っても、入居する人なんて一人たりともいなくなっているわけだ。でも毎日誰かが寝ている。夜間も朝も。お前が『いる』と認識しなかった日はあるか?」

「あります!何日も気づきませんでした」

その時向こうで笑い声が聞こえた後、線が切れた。

記録者へのメモ(2026年7月・発見)

手元に残る最後のメモには次のように記されている。

「三号館三階のベッドは、入居者の代わりに『記憶』を収容している。患者が自分自身について全て忘れ始めた時、その名残りがベッドに浸透する。それはもはや患者ではなく記録媒体だ。だが、寝ている間の呼吸音だけがまだ実在を示す」

下部に追記がある。

「だから、今この場においでの方は……もしお前の三階に一人居る気がするのであれば、それはお前が失った自身の一部かもしれない。確認してほしい」

最終所見(未提出)

三号館の閉鎖は2024年に完了した。しかし現在も三号館の管理システム上、空きベッド数は「9」「11」「13」など存在しない番号が含まれており、夜間のみ記録更新が自動で実行される。