冷蔵庫のメモ

冷蔵庫の挿絵

去年の冬、僕は一人暮らしを始めた。

都心から30分ほど电鉄で下った、静かな住宅地の一軒家だった。物件は中古で、前の入居者が「急に引っ越した」という理由で非常に安かった。大家さんは「トラブルなんかじゃないよ。単に転勤だって」と笑って見せたが、何かを感じ取ったのは僕の方だった。

転居してから一ヶ月ほど経った12月の某日、僕は残業で深夜の帰宅となった。

階段を上がると、玄関のドアがわずかに開いている。

「また入れ忘れか」と思い、鍵を掛けて中に入った。部屋はいつも通り。照明は消えている。静かすぎる。

キッチンに立ち、冷蔵庫を開けた。

その時だった。

冷蔵庫の棚の一番上、野菜室の隣に、白い付箋が貼ってあるのに気づいた。

付箋には、自分の字でこう書かれていた。

温めてね。中身腐るから。

僕は立ち尽くした。

自分の字だ。間違いない。字の癖、角度、漢字の書き方——すべて自分が書く時と同じだった。

でも、誰が貼ったのか。

部屋には誰もいなかった。玄関の鍵は掛かっていた。窓も閉まっている。

「誰かの悪戯かな」と、僕は付箋を剥がしてゴミ箱に捨てた。冷蔵庫の中には、牛乳と卵、半分の人参——明日の朝食用に仕えておいた夕食が入っていた。

その日以来、付箋は現れなくなった。

僕は安心して生活に戻った。

が、一週間後、また現れた。

今度は冷蔵庫の扉の裏側。磁石で留められたメモ用紙に、また自分の字で。

明日、忘れるよ。先に食べて。

僕はもう一度、破った。

そして三日后、今度は付箋ではなく、手紙だった。

白い便箋に、また自分の字で、長文が書かれていた。

今日から3日、外に出てないね。大丈夫?食事は?僕はいつも冷蔵庫の中にいるから、見えるよ。窓から。

冷蔵庫の野菜室のガラス棚を覗くと、その向こうに、白い光がうっすらと見える。

おかしい。野菜室には照明しかない。

でも、その光は、人の目だった。

野菜室の奥、カブとレタスの間から、白い瞳孔がこちらを覗いている。

僕は後ずさりし、冷蔵庫の扉を閉めた。

その瞬間、冷蔵庫の中から、低い声がした。

開けないで。僕は、外に出たくなかった。

それ以来、僕は冷蔵庫を開けなくなった。

でも、毎朝、扉の隙間から、白い付箋が一枚、床に落ちている。

温めてね。

温めてね。

温めてね。


この話、知人から聞きました。今はその部屋に誰も住んでいないそうです。大家さんも「前の入居者が、また戻ってくるかもしれない」と言って、物件を空けておくと答えたとのことです。