実話。僕の知人の話だ。

彼は東京・世田谷のワンルームマンション、築十五年の鉄筋二階建ての三階に住んでいた。二十代後半、社会人三年目。残業が多く、深夜に帰宅することも少なくなかった。

「最初はただのゴミだと思った」

彼がそう振り返る。

引っ越して二ヶ月目のある日、冷蔵庫を開けたら、昨日買ったはずの牛乳が空になっていた。彼は「飲み忘れたかな」と思い、新しい牛乳を買った。

次の週、また空になっていた。

「もしかして、自分が無意識に飲んでるのかも」

そう自分に言い聞かせた。一人暮らしだから、記憶が曖昧になることもある。

しかし、次は卵だった。パックに入っていた卵が、三個減っていた。

「ありえない」

彼は冷蔵庫を点検した。蓋は閉まっている。鍵も掛かっていないが、自分で閉めた以上、誰かが開けたわけがない。

「誰か入ってる」

そう思った。でも、部屋の中を調べた。クローゼットにもベッドの下にも誰もいなかった。

「風で蓋が開いたのかな」

そう信じたかった。

しかし、現象はエスカレートした。

買ったばかりの惣菜が、半分に減っている。コンビニで買ったパンが、一口咬まれた状態で冷蔵庫に入っていた。咬み跡は、彼のものではない。

「誰かが毎日、冷蔵庫を開けて、中身を取って食べている」

彼はその夜、冷蔵庫の前に座り込んだ。深夜二時。部屋は暗く、冷蔵庫のランプだけが青く光っている。

三時を回った頃、冷蔵庫の中から音がした。

「カチッ」

蓋が開く音。

彼は見えた。冷蔵庫の扉が、ゆっくりと、開いていくのを。

中から冷たい風が吹き出した。その風は、部屋全体の温度を下げるほど冷たかった。

そして、彼が見たもの——

冷蔵庫の棚に、手が伸びていた。

手の正体はわからない。影のような、煙のような、何かが手をかたどっている。その手が、棚の上にあった惣菜のパックを、ゆっくりと取り出した。

彼は何も言えなかった。声が出ない。身体が動かない。

パックが冷蔵庫の中から取り出され、彼の目の前、床に置かれた。

パックは開いていた。中身が、減っている。

そして、手が戻っていった。冷蔵庫の中に。

扉が閉まった。

「カチッ」

静かになった。

彼は翌朝、パックを確認した。中身は完全に空になっていた。でも、パックの周りには一滴もこぼれていなかった。

「誰かが、全部食べた」

彼は引っ越した。次のアパートでは、冷蔵庫を新しくした。

でも、新しい冷蔵庫でも、同じことが起きた。

「最初は、ただのガス漏れだと思った」

彼が最後に言った。

「でも、ガス漏れが、卵を減らすわけがない」

彼は今、実家に戻って暮らしている。

「一人暮らしは、もう無理だ」

冷蔵庫のランプが、青く光っている。

夜中、いつだって。