実録: 空き部屋から聞こえる足音
2026年08月23日
実録。知人の話なので、名前だけ「たけし」としよう。
たけしは三ヶ月ほど前、実家の空き家を改装して一人暮らしを始めた。二階建ての平屋、築四十年、両親は既に別の地域へ引っ越していて、建物は完全に放置されていたのだ。
「埃が半分くらいまで積もってるけど、掃除すれば大丈夫さ」
そう言って、たけしは週末に掃除を始めた。二日間がかりで埃を払い、窓を開け、換気扇を回す。最後にはフローリングが光り始め、なんとなく住めそうな雰囲気になってきた。
引っ越し当日の夜、たけしは初めてその家で寝た。
最初はなんともなかった。新居へのわくわく感もあって、深く眠れた。
二日目。夜中、たけしは目を覚ました。
何かの音で。
床を誰かが歩いている音。
ドタッ、ドタッ、と、重たい靴を履いたような足音が、天井から聞こえる。
たけしは思った。
「上の階か。隣人かな」
平屋だ。上の階などない。
でも、たけしは気にせず、再び眠りについた。
三日目。また同じ音がした。
今度は床ではなく、壁から。
壁を誰かがたどっていくような、指先で壁を伝うような、そんな音。
たけしは立ち上がった。
「誰かいるのか」
返事はない。
たけしは家じゅうを確認した。玄関は施錠済み。窓も閉まっている。トイレも浴室も、押入れも全部空だ。
「たまたま、建物が鳴ってるだけだろう」
そう自分に言い聞かせた。古い建物なら、温度変化で木材が鳴くのは普通だ。
五日目。夜中。
また音がした。
今度は、キッチンから。
冷蔵庫の扉が開く音。
ドサッ、と重い音がして、それから、何かが棚から取られる音。
たけしはキッチンへ向かった。
電気を付けると、キッチンは広かった。
冷蔵庫は閉まっている。棚も、全部揃っている。
でも、冷蔵庫の横に、水滴が一滴、落ちていた。
冷蔵庫は閉まっている。
なのに、水滴が。
たけしは冷蔵庫の電源を抜き、家を出た。
ホテルに泊まった。
六日目。たけしは大家に電話した。
「この家、大丈夫ですか」
大家は言った。
「ああ、築四十年だけど、大丈夫だよ。昔はよく老夫婦が暮らしてたけど、お二人とも亡くなって、十年以上空いてるね」
「でも、夜中に足音が聞こえるんです」
「ふーん。たぶん、ネズミでしょ」
七日目。夜中。
たけしは覚悟を決めた。
音がした瞬間、たけしは冷蔵庫に向かった。
ドサッ。扉が開く音。
たけしは電気を付け、冷蔵庫を開けた。
中は綺麗に整頓されていた。
でも、下段の引き出しが、ほんの少しだけ、開いていた。
たけしは引き出しを閉め、冷蔵庫の扉を閉めた。
その時だった。
冷蔵庫の向こう側から、小さな声が聞こえた。
「……開けないで」
たけしは後ずさりした。
冷蔵庫の向こう側は、壁だ。壁の向こうは、隣の空き地。
誰もいない。
でも、声は、まだ聞こえた。
「……開けないで。私、中にいるから」
たけしは家を出た。二度と戻らなかった。
その家は今も空いている。
大家は、今でも「たぶんネズミでしょ」って言っている。