冷蔵庫の怪異

実録。知人の話なので、名前だけ「たけし」としよう。

たけしは三ヶ月ほど前、実家の空き家を改装して一人暮らしを始めた。二階建ての平屋、築四十年、両親は既に別の地域へ引っ越していて、建物は完全に放置されていたのだ。

「埃が半分くらいまで積もってるけど、掃除すれば大丈夫さ」

そう言って、たけしは週末に掃除を始めた。二日間がかりで埃を払い、窓を開け、換気扇を回す。最後にはフローリングが光り始め、なんとなく住めそうな雰囲気になってきた。

引っ越し当日の夜、たけしは初めてその家で寝た。

最初はなんともなかった。新居へのわくわく感もあって、深く眠れた。

二日目。夜中、たけしは目を覚ました。

何かの音で。

床を誰かが歩いている音。

ドタッ、ドタッ、と、重たい靴を履いたような足音が、天井から聞こえる。

たけしは思った。

「上の階か。隣人かな」

平屋だ。上の階などない。

でも、たけしは気にせず、再び眠りについた。

三日目。また同じ音がした。

今度は床ではなく、壁から。

壁を誰かがたどっていくような、指先で壁を伝うような、そんな音。

たけしは立ち上がった。

「誰かいるのか」

返事はない。

たけしは家じゅうを確認した。玄関は施錠済み。窓も閉まっている。トイレも浴室も、押入れも全部空だ。

「たまたま、建物が鳴ってるだけだろう」

そう自分に言い聞かせた。古い建物なら、温度変化で木材が鳴くのは普通だ。

五日目。夜中。

また音がした。

今度は、キッチンから。

冷蔵庫の扉が開く音。

ドサッ、と重い音がして、それから、何かが棚から取られる音。

たけしはキッチンへ向かった。

電気を付けると、キッチンは広かった。

冷蔵庫は閉まっている。棚も、全部揃っている。

でも、冷蔵庫の横に、水滴が一滴、落ちていた。

冷蔵庫は閉まっている。

なのに、水滴が。

たけしは冷蔵庫の電源を抜き、家を出た。

ホテルに泊まった。

六日目。たけしは大家に電話した。

「この家、大丈夫ですか」

大家は言った。

「ああ、築四十年だけど、大丈夫だよ。昔はよく老夫婦が暮らしてたけど、お二人とも亡くなって、十年以上空いてるね」

「でも、夜中に足音が聞こえるんです」

「ふーん。たぶん、ネズミでしょ」

七日目。夜中。

たけしは覚悟を決めた。

音がした瞬間、たけしは冷蔵庫に向かった。

ドサッ。扉が開く音。

たけしは電気を付け、冷蔵庫を開けた。

中は綺麗に整頓されていた。

でも、下段の引き出しが、ほんの少しだけ、開いていた。

たけしは引き出しを閉め、冷蔵庫の扉を閉めた。

その時だった。

冷蔵庫の向こう側から、小さな声が聞こえた。

「……開けないで」

たけしは後ずさりした。

冷蔵庫の向こう側は、壁だ。壁の向こうは、隣の空き地。

誰もいない。

でも、声は、まだ聞こえた。

「……開けないで。私、中にいるから」

たけしは家を出た。二度と戻らなかった。

その家は今も空いている。

大家は、今でも「たぶんネズミでしょ」って言っている。