録音の仕事をしている。

観光PRの素材として、地方の音を集めるのが私の役目だ。

先月、海沿いの小さな町に呼ばれた。

目的は、夏祭りで歌われる古い舟歌の収録だった。

録音された波形

波形の谷間に、誰のものでもない声が立っていた。

町の公民館で、保存会の人たちに会った。

最年長の女性が、最初にこう言った。

「三番は録らないでください」

意味が分からず、私は聞き返した。

「機材の都合ですか」

女性は首を振った。

「都合じゃないの。三番は、昔から“社に返す歌”だから」

冗談だと思った。

民俗資料としては面白い。

そう考えた私は、笑ってうなずくだけにした。

本番の夜、波止場は風が強かった。

保存会の人たちは一番、二番までを静かに歌った。

低く揺れる旋律で、海に向かって音が流れていく。

私は指向性マイクを向け、レコーダーのレベルを見ていた。

そのとき、イヤホンの左だけで、別の声がした。

女でも男でもない。

息だけで歌っているみたいな、細い声だった。

保存会の歌と同じ旋律なのに、拍が半歩ずれていた。

気のせいだと思って、収録を続けた。

翌朝、ホテルで波形を確認した。

一番と二番はきれいに録れている。

問題は、その次だった。

演者はもう歌っていない時間なのに、三番の旋律だけが入っていた。

しかも、声はひとり分。

語尾だけが毎回、少し濁っていた。

ノイズ除去をかけると、歌詞が浮いた。

「かえせ かえせ かえせ」

背中が冷えた。

昼に公民館へ行き、昨夜のデータを聞かせた。

保存会の人たちは顔色を変えた。

あの最年長の女性が、私のレコーダーを指差した。

「持ってきたの、港の社の前まで?」

「防波堤の先まで行きました。音が良かったので」

彼女はしばらく黙り、やがて小さく言った。

「昔、あの沖で船が返らなかった夜があるの。三番は、その人たちを海へ返す歌なの」

理屈が通らない。

でも、その夜から、私の編集室で異変が始まった。

海辺の社

誰もいないはずの社の前で、足音だけが一段ずつ近づく。

ヘッドホンをつけるたび、左耳だけ潮騒が混ざる。

都会のビルの六階なのに、塩の匂いがした。

タイムライン上で三番のクリップを削除しても、次に開くと同じ位置に戻っている。

ファイル名は毎回変わる。

take_03.wav

return_03.wav

your_turn_03.wav

無視して納品しようとした。

書き出しボタンを押した瞬間、モニターが暗転した。

スピーカーから、あの声だけが流れた。

「かえせ」

次に画面が戻ったとき、プロジェクト内の全トラック名が同じ文字列になっていた。

「三番」

私は慌てて電源ケーブルを抜いた。

静かになった部屋で、机の下から水滴の音がした。

ぽた、ぽた、と一定の間隔で落ちている。

のぞき込むと、床に小さな濡れた足跡が並んでいた。

裸足の、子どものような足跡だった。

それは、机の下からドアへ向かって伸びていた。

途中で止まって、向きを変えていた。

こちらに向かって。

いまも私は、この原稿を書きながら左耳を塞いでいる。

塞がないと、次の歌詞が聞こえるからだ。

一番でも二番でもない。

私の名前を含んだ、三番の続きが。


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