帰省
2026年03月17日
祖母の訃報を受けたのは、十月の終わりだった。
電話口で「喜代子さんが亡くなりました」という声を聞いた時、涙より先に罪悪感が来た。最後に会ったのは十七年前、私がまだ小学生の頃だった。
村はバスで最寄り駅から一時間半、そこからさらに林道を二十分歩く場所にあった。
林道はすぐに暗くなった。空には星が出始めていた
道中、幼少期の記憶を手繰り寄せようとした。
けれど不思議なことに、何も出てこなかった。この山道の景色も、川のせせらぎも、何かを思い出させてくれるはずなのに、ただの初めて見る風景にしか感じられなかった。
村に入ると、数人の老人たちが出迎えてくれた。
「よう来てくれた。待っとったよ」
一番年配の老婆が、私の手を両手で握った。その手のひらはひどく冷たかった。
「あなた方とは、初めてお会いしますよね」と私は言った。
老婆は少し目を細めた。
「初めて?そがいなことはない。あんたはいつもここへ帰ってくるんじゃから」
意味がよく分からなかったが、田舎の人特有の言い回しだろうと思ってやり過ごした。
祖母の家は集落の一番奥にあった。葬儀の準備がされた座敷に、真新しい位牌が置かれていた。遺影の中の祖母は、穏やかに微笑んでいた。
仏間に通されて、親族として紹介された人たちと挨拶を交わした。ほとんど知らない顔だったが、その中の一人の女性が目に留まった。四十代くらい、私によく似た顔立ちをしていた。
「遠縁の方ですか」と聞くと、その女性は首を振った。
「わたしもあなたと同じよ。帰ってきた人間」
何かが引っかかったが、法事の慌ただしさの中でその会話は流れてしまった。
夜、村人たちが引き上げ、私は一人で仏間に残った。祖母への線香を絶やさないようにと言われていたからだ。
手持ち無沙汰に部屋を見回していると、古い棚の上に写真立てが並んでいることに気がついた。ほとんどは祖母の若い頃の写真だったが、一枚、見覚えのない構図の写真があった。
この村の山道を歩く女性の写真だった。
後ろ姿で、こちらを向いていないが、その服装が気になった。私が今日着てきたのと、まったく同じ服だった。
待って。
私はその写真を手に取った。日付けのスタンプが隅に押されていた。
二〇〇三年、十一月。
二十三年前の写真だ。私はその年、まだ小学生だった。この服は今日、東京のアパートのクローゼットから出してきたものだ。なぜこんな写真が——
「見つけてしまいましたか」
背後から声がした。振り返ると、昼間の「よく似た顔の女性」が立っていた。
「この写真の女性は誰ですか」と私は尋ねた。
女性はしばらく黙っていた。
昭和三十八年。昭和六十一年。二〇〇三年。そして——
「わたしです。二十三年前のわたし」と、女性は静かに言った。
「あなたが?でも、この服は——」
「あなたの服に似ているでしょう?」女性は少し悲しそうに笑った。「わたしたちはいつも、似たような服を着て、この村に帰ってくるの。顔も似ている。毎回少しずつ違うけれど、でも根っこは同じ」
「どういう意味ですか」
女性は窓の外を見た。闇の中に、山の輪郭だけが浮かんでいた。
「この村はね」と彼女は言った。「何十年かに一度、同じ人を呼び寄せるの。別の時代から。あなたは今日来た。二十三年前にはわたしが来た。それより前にも、同じ顔をした女が来ている。棚の奥を見てごらんなさい」
言われた通りに棚の奥を確認すると、まだ写真立てがあった。モノクロの写真。そこにも、この山道を歩く女性の後ろ姿が写っていた。
私と同じ体型。同じ歩き方。
写真の隅に、薄れた文字で年号が書かれていた。
昭和三十八年。
「村は何のために私たちを呼ぶんですか」
女性はすぐには答えなかった。
「喜代子おばあちゃんが死んだでしょう」とやっと言った。「あの人が、ずっとあなたたちを繋ぎとめていた人だったから。もう引き留める人がいなくなった。だから——」
廊下で音がした。
ゆっくりとした、何かを引きずるような音。
女性の顔が青くなった。
「まずい。来ないはずだったのに」
「何が来るんですか」
「呼んでいた側が」と彼女は囁いた。「わたしたちを必要としていた、山の奥の何かが」
足音はだんだん近づいてきた。
私は逃げようとしたが、足が動かなかった。体の芯から、冷たい何かがゆっくりと這い上がってくる感覚があった。
女性の言葉が頭の中で繰り返された。
帰ってきた人間。
影は、人間よりも腕が長かった
気づいてしまった。
私はここに来たのではなかった。ここへ戻ってきたのだ。
何度も、何度も、繰り返して。
廊下の音が止まった。
障子の向こうに、長い影が差した。
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