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知人が地方の総合病院に、祖母の見舞いで泊まり込みをしていた話だ。

祖母は脳梗塞で倒れ、回復期リハビリの段階に入っていた。知人は平日は仕事に行き、夕方から夜まで病室で過ごすという生活を続けていた。病院は築四十余年、廊下の床は古いタイル張り、天井の蛍光灯は時々チカチカと点滅する。古びた病院らしい雰囲気だった。

三日目のある夜、知人が病室で本を読んでいると、廊下から音が聞こえた。

ガタッ、ゴトン。

病院のベッドは四輪キャスター付きで、押すと簡単に動く。しかし夜中の二時を回った時間、病棟のほとんどの患者は既に眠っている。ナースステーションにも人影はなく、廊下の照明は半分が消されていて、薄暗い。

知人は音が廊下からしていることに気づき、ドアの隙間から覗き込んだ。

廊下の中央に、白い病院のベッドが一台、立っていた。

ベットの上には誰も乗っていない。毛布も掛けられていない。フレームだけが無様に光っている。

知人は目をこすり、もう一度見た。ベッドはそのままだった。風もない。窓は閉まっている。

「誰かが間違えて廊下に置いたのかな」

そう思い、知人はまた本に戻った。五分後、また音がした。

ガタッ、ゴトン。

知人が再びドアの隙間から覗くと、ベッドが少しだけ動いていた。三センチほど、廊下の奥へと滑るように移動している。

知人は背筋が凍るのを感じた。廊下の端、遠くに見える階段口のあたりには、もう一台のベッドがある。そのベッドの上には、患者が寝ている。寝息を立てて眠っている患者の隣で、空のベッドがゆっくりと動いている。

知人はそっと病室のドアを開け、外に出た。

「すみません、このベッドを……」

そう言いながら近づくと、ベッドは止まった。

完全に、動かなくなった。

知人はためらいながらベッドの横に回り込んだ。キャスターを確認した。全部正常に地面についている。ブレーキも正常。ベッドのフレームに異常な箇所はない。

「おかしいな」

知人はナースコールを押した。返事はなかった。翌朝、当直の看護師に話すと、看護師は少し顔をしかめて言った。

「あー、あのベッドですね。昨夜、307病室の患者さんが退院されて、空になったんです。でも307病室、実は来月から改装工事で、今は使えないんですよ。患者さんが退院したあと、ベッドを307に置いたんだけど、なぜかまた出てきたんです」

「307病室が使えないなら、なぜそこにベッドを?」

「スタッフが間違えて……。でも昨日の夜、ベッドを307に戻したら、今朝にはまた廊下に出ていたんです。もう三回目です」

知人はその夜、再びドアの隙間から廊下を覗いた。

空のベッドは、元の場所に戻っていた。

しかし、ベッドのフレームの端に、泥のような茶色い汚れが一つ、付いていた。

知人は祖母に話した。祖母は目を丸くして言った。

「307病室……あの部屋、昔は隔離室だったわ。感染症の患者さんをそこに閉じ込めていたの。閉鎖病棟の最後の日、患者の一人が、ベッドごと廊下に出ていったって、後から噂になっていたわ」

知人はその夜、病院を後にした。

祖母の見舞いは続く。しかし知人は、夜中の廊下を歩くことが怖くなった。

ガタッ、ゴトン。

その音が、また聞こえるかもしれないから。