「インターホンで、自分の顔」を見た夜
2026年08月31日
去年の秋、東京・杉並のマンションで一人暮らしをしていた私の話だ。
二十歳前半のサラリーマン。残業が多い仕事柄、夜遅くに帰宅することは珍しくなかった。その日も、午後十一時過ぎに駅に着き、徒歩十五分のマンションへ戻る道中だった。
エレベーターに乗って十四階へ上がり、廊下を歩いて自分の部屋の前に立ったときのことだ。
インターホンが鳴っていた。
「え?」と、私は思った。誰もいないはずの留守番中のインターホンが、なぜ鳴っているのか。
モニターを確認すると、カメラには廊下が映っていた。明かりはついていて、誰かいる気配はない。
「うーん、故障かな」
そう思ってインターホンを消しかけたその瞬間だった。
モニターに、誰かが現れた。
廊下の階段の方から、ゆっくりと階段を降りてくる人影。そしてその人物がカメラのフレームに入ってきた。
私だった。
同じ服を着て、同じ鞄を持って、同じ表情でモニターを見つめる自分。
「……は?」
言葉にならない。脳が処理できない。モニターの中の自分は、まるで私そっくりの別人が、私と同じ服装で立っているようだった。
その時の私の記憶は、はっきりしている。鞄は左肩にかけていた。モニターの中の自分も、同じ姿勢で鞄を左肩にかけていた。
私はインターホンのボタンを押し続けた。モニターの中の自分も、同じ動作をした。
三秒後、モニターが白飛びして、何も映らなくなった。
動けなかった。一時間もその場で凍り付いていた。
その後、インターホンが再び鳴った。モニターを確認すると、廊下は空になっていた。
「もういいや」と、私はドアを開けた。廊下には誰もおらず、階段の明かりだけがぽつんと照らしていた。
その日以来、そのマンションのインターホンを使うたびに、ぞっとする。
知人に話すと、「あれはインターホンのエコー現象だ。カメラの処理が追いついて、自分自身を映してしまうことがある」と言われた。
でも、私は知っている。
あのときモニターに映っていたのは、私ではなかったと。
映っていたのは、私より先にそこにいた、私そっくりの何かだと。