映画館「ル・シネマ・ノワール」の開館六十周年記念上映会に、私は監督として招かれた。実はあの映画を撮ったのは三十年前で、当時は無名監督だったから今更呼ばれる訳がないと知っていたが、招待状は確かに届いた。

劇場には客席がちょうど三十三席しかなかった。その日の開場時間になると、席には一人ずつ誰かが座っており、皆薄気味悪そうな表情を浮かべている。観客は二十八人。席数に満たない。

上映が始まったとき、スクリーンに映ったのは私が撮った原作映画のコピーではなかった。まるで同じ物語を描いた別バージョンのようだが、主人公だけが私だった。三十年前の自分自身を、スクリーンの向こうから見ているような感覚に襲われた。

フィルムは二時間四十七分で、私の作品が二時間三分だったので、余計な四分四十七秒がある。その間に映し出されたのは、劇場の客席を真上から見下ろした映像だった。カメラを天井に設置しているはずもなく、誰かが隠れて撮影しているのかと驚いたが、よく見ると映画の中の「私」も同じ劇場に通っていて、スクリーンを凝視していた。つまり映画と現実に同一空間が発生していただけだ。

問題は四分四十七秒の間に、客席のどこかに存在しない人物が一人映っていたことである。二十八人に対して二十九人の影。誰も気づいていない。気づかないふりをしているだけなのかもしれない。

上映後におこなわれたトークショーは、観客たちの静かな無言に包まれた。「どうでしたか?」と私が尋ねると、誰一人答えなかった。そして全員が突然立ち上がるや否や、出口へと向かった。彼らの表情はもう薄気味悪さではなく、恐怖でも何でもない全くの平常心だった。

残された二十八人分の足取りの音が、劇場の廊下を鳴り響くなかで私は一人で椅子に座り続けた。その間にスクリーンが点灯し、新しい映写が始まったのだ。今度は現実に近い空間で撮影した映像である。客席に一人また一人と、再び客が戻ってきているのが映し出されていた。二十八人全員が。だが彼らの顔はまるで別人のように歪んでいた。

最終的には二十九人の影が、スクリーンという名の境界線の向こう側から「私」を見つめていた。

そして映画の最後に、次の一文が映った。

次回のお誘い合わせ:同じ劇場へお越しあれ。席はお一人分の準備ができております。

私は明日も映画を見るつもりだ。客として。

シネマノワール LUCIFER