バス停の夜

知人は地方の工場に夜勤で働いている。三十代前半、一人暮らし。毎日深夜二時に終業し、徒歩十五分でバス停まで歩き、最終バスで帰宅するというルーティンだった。

バス停は田舎道沿いにある。周囲は田んぼと廃屋が点在する場所で、夜になると街灯は一つもない。バスが来るまで平均十分待つ。

ある日のことだ。知人がいつものようにバス停でスマホをいじりながら待っていると、後ろの雑木林から足音が聞こえた。砂利道を歩く音だ。振り返ると、そこには自分と同じ青い作業服を着た男が立っていた。

男は五十代くらいか。顔は暗くてよく見えない。ただ、作業服の左胸にある工場のロゴが、知人のものと全く同じだった。

「お前、まだいるのか」

男が言った。声は枯れていた。知人は驚いて「あ、はい」と答えた。男はうなずくと、そのまま田んぼの畦道を歩き去っていった。足音は、まるで何も踏まずに歩いているかのように聞こえなかった。

バスは十五分後に来た。運転手は「今日はあのバス停止まらないんですよ。道路工事してるから」と言った。

知人は呆然とした。自分は今、バス停で待っていた。バス停のポールも標識もはっきり見える。それが「止まらない」なんてあり得ない。

その日以来、知人は夜勤を辞めたという。

「あの男は、この工場で三十年前に事故死した元従業員だって。葬儀は家族だけで済ませたから、仕事場の人間は誰も名前を覚えてない」

知人はそうも言った。でも、作業服のロゴは消していない。三十年前の工場のロゴだ。

そして一番恐ろしかったのは、バス停のポールに、男の作業服と同じ青い布切れが、一本掛かっていたことだ。

風もないのに、ゆらゆらと揺れていた。