深夜のコインランドリー

先月の話だ。

僕は東京・中野の公寓で一人暮らしをしている。仕事柄、夜型のスケジュールで、休日も昼夜が逆転している。ある土曜の夜、二十四時過ぎにふと「洗濯機を回そう」と思ったのがきっかけだった。

中野駅東口から徒歩三分のコインランドリーがある。いつも二十三時以降は無人で、入口のオートロックも鍵がかかっている。カードキーで開ける仕組みだ。

その夜、僕はランドリーに入って三台目の洗濯機に洗濯物を入れた。四十円コースの四十分钟。タイマーをかけて、隣りのソファに座り、スマホを操作しながら待った。

二十四時四十五分。

タイマーが残り五分になったところで、ふと気づいた。

洗濯機のガラス扉が、自分では回っていないのに、ゆっくりと回転し始めているのだ。

最初はタイマーの残時間を確認するための回転かと思った。しかし残り五分なのに、なぜかコースが「標準コース」に変わっていた。僕の入れたのは四十円コースだ。四十円コースに標準コースの設定はできない。

「機械の故障かな」

そう思って、洗濯機の操作パネルの「停止」ボタンを押した。

押しても、押しても、反応しない。

代わりに、洗濯機の中から、洗濯物が水に浸かる音ではなく、何かが床を這うような、濡れた布がべちゃべちゃと引かれる音が聞こえ始めた。

洗濯物は全部で五枚。シャツ二枚、ズボン一枚、下着二枚。全部ジップロックに入れた。ジップロックは閉めていた。開いていない。

それでも、中からべちゃべちゃという音が止まらない。

僕は立ち上がり、洗濯機に手をかけた。扉を開けようとしたが、開かない。ロックがかかっているのか、中が真空になっていて、力を入れてもびくともしない。

その時、ランドリーの奥から、別の洗濯機が回り始めた音が見えた。

僕は自分で何も操作していない。カードキーで開けた後、三台目に入れた以外は、一切の操作をしていない。

しかし、四台目、五台目、六台目。

次々と洗濯機が回り始め、水を入れる音、モーターが回る音、洗濯物が跳ねる音が、静かなランドリー中に響き渡った。

六台とも、全部、違うコースで回っている。

僕は出口のドアを開けようとしたが、オートロックが作動しており、開かない。カードキーで開けるはずが、今は鍵がかかったままだ。

「おい、誰かいるか!」

叫んだ。返事はない。

その時、一番近い洗濯機——三台目——のガラス扉が、水滴で曇って、中がほとんど見えない状態になった。

しかし、その曇ったガラスの向こうに、形があることに気づいた。

人間のような、直立した影が、洗濯物と並んで、静かに立っていた。

影は、ガラスの向こう側——洗濯機の中——にいた。

僕は後ずさりした。背後にも、他の洗濯機から水音が聞こえている。六台とも、完全に満回転している。

その時、三台目の洗濯機が、突然、止まった。

静寂。

そして、洗濯機のロックが外れる音がした。

ドヨン、と。

扉が、ゆっくりと、自分から開いていった。

中身は、全部、僕の洗濯物だった。ジップロックも、全部、閉じたまま。

しかし、ジップロックの表面に、指紋のような、濡れた手の形が、いくつも付いていた。

外側から押した形ではなかった。

内側から、押した形だった。

その時、ランドリーの電気が、一瞬、点滅した。

点灯した瞬間、三台目の洗濯機の中に、先ほどの影は、もうなかった。

代わりに、床に、濡れた足跡が、一列、並んでいた。

ランドリーの入口から、三台目の洗濯機まで。

そして、三台目の洗濯機から、出口のドアへ。

出口のドアの隙間から、外に、濡れた足跡が、一直線に、続いていた。

僕は、その足跡を、外まで追っていった。

足跡は、中野駅東口の、駅前公園のベンチで、途切れていた。

ベンチの下に、ジップロックに入れたはずの、僕のシャツが、濡れたまま、置かれていた。

シャツの背中側に、何かで書かれた文字があった。

「次は、僕の番だ」

それ以来、そのランドリーには、行っていません。

しかし、先週、友達からLINEが来た。

「ねえ、こないだ中野のランドリーで、すごいこと見ちゃった。洗濯機が全部勝手に回ってて」

友達が見たのは、先月の土曜の夜。二十四時四十五分頃。

僕がいた時と、全く同じ時間だ。

友達は、写真も撮ったと言う。送ろうとしている。

送られてきた写真を見て、僕は、背筋が凍るのを感じた。

写真の中のコインランドリーには、六台の洗濯機が、全部、回っていた。

そして、一番手前の洗濯機のガラス扉に、水滴で書かれた文字が、かすかに、映っていた。

「もう、一回る」