終電の同じ席の女性
2026年08月26日
実話です。友人のAが話してくれたので、そのままメモしておきます。
Aは大阪の梅田で働くサラリーマン。残業続きで、毎晩のように終電で帰宅する生活が続いていた。
ある日、彼は駅のエスカレーターを降りて、ホームに下りていった。平日の深夜。ホームには自分以外に数人。ベンチに座ってスマホをいじるサラリーマン。立ち読み本を片手に立つOL。そして、一番端の席に座っている女性。
女性は黒いコートを着ていた。髪は肩まで。顔ははっきりと見えないが、スマホも持たず、ただ前を見つめている。
「あ、また会ったな」
Aは気づかなかった。同じ駅で同じ終電に乗る確率は低い。しかし、それは偶然ではなかった。
次の週も、再来週も、女性は同じ席に座っていた。
最初は「偶然だな」と思い、数週間後には「また会った」と苦笑いしていた。しかし、四週目に入った頃、Aは違和感を覚えた。
女性は、毎日全く同じ時間に現れ、全く同じ席に座り、全く同じ姿勢で前を見つめている。スマホも本も持たない。ただ座っている。
そして、電車が着くたびに、ゆっくりと立ち上がり、電車のドアの前まで歩き、中に入る。
Aは思い至った。
この女性は、電車を待っているのではない。
乗る人を待っている。
次の日、Aは終電に乗らず、タクシーで帰宅した。次の日も、次の週末も、同じように避けた。
しかし、三日後、彼は疲れてしまい、また終電に乗ってしまった。
ホームに着くと、女性はまたいた。同じ席に。同じ姿勢で。
Aはあえて彼女の隣に座った。
女性はゆっくりと、ゆっくりと、Aの方を向いた。
Aの目線は、女性の顔とほぼ同じ高さだった。しかし、女性の顔には、何もなかった。
顔の表面は、平らだった。目も鼻も口も。まるで、粘土で形作られた仮面のように、何もなかった。
Aは動けなかった。
女性はゆっくりと、Aの耳元に近づき、低い声で言った。
「明日も、ここで待ってるから」
Aは次の日、終電に乗らなかった。一週間乗らなかった。
一週間後、また終電に乗った。
ホームに着くと、女性はいた。
しかし、今日はもう一人、別の女性が隣に座っていた。
二人とも、ゆっくりとAの方を向いた。
Aは走った。
その夜から、Aは終電に乗らなくなった。
しかし、ある日のこと、Aは自宅の玄関で、黒いコートを着た女性の影を、目の端で見た。
玄関のドアの隙間から、静かに、覗き込んでいた。