コインランドリーの洗濯機が、勝手に回り始めた話
2026年10月12日
去年の冬のことだ。
僕は都内某所のマンションに一人暮らしをしていた。職場が深夜まである仕事柄、洗濯物をコインランドリーに持っていくのは夜中になることが多かった。
ある日のこと。夜中の二時過ぎ、街の片隅にある小さなコインランドリーに入った。
店内には客は僕一人。自動ドアが開く音だけが、静寂を断つ。
左側に三台、右側に三台。合計六台の洗濯乾燥機が並んでいる。そのうち三台が稼働中で、ゆっくりと衣類が回る音が、かえって不気味な沈黙を際立たせていた。
僕は奥側の右端、六号機にコインを入れて洗濯物を突っ込んだ。
スタートボタンを押して、隣に座り待ちながらスマホを見る。
すると——。
真横の五号機が、勝手に動き出したのだ。
僕は何もしていない。コインも入れていない。電源さえ入っていないはずだ。
なのに、ドラムがゆっくりと回り始め、水が流れ出し、洗剤の泡が窓越しに膨らんでいく。
「……誰かが使ってる?」
店内を見回した。客は僕一人しかいない。
稼働中の三台のうち、どれかと思ったら、五号機は完全に停止状態だった。電源ランプもついていない。
なのに、水が満タンになり、ドラムが回転し始めた。
泡が窓の隅にたまっていく。その泡の色が、なぜか白くなくて、少し黄ばんでいた。
僕は立ち上がった。五号機に近づいて、窓を覗き込んだ。
中が回っている。衣類が。でも、それが自分の洗濯物じゃないのは明らかだ。
何枚か、衣類の端が見えた。
……シャツの袖だ。
人の袖が、ドラムの中でクルクル回っている。
背筋が凍った。僕は後ずさり、壁にもたれた。
「……誰か入ってる?」
声に出して聞いた。返事はない。
五号機のドラムは、まだ回り続けている。
その時だった。
ドラムの回転が、急に速くなったのだ。
バァン、バァン、バァン——。
水が窓に飛び散る。泡が窓を覆い尽くしていく。
そして、泡が少し引いた瞬間——。
ドラムの内側から、何かが窓に張り付いた。
手の形だ。
ガラスに、手のひらの形が、押さえてあった。
指が五本。爪まで見える。
そして、ゆっくりと、その手が——。
窓をノックした。
カチ、カチ、カチ。
コインを入れるスロットに、指が伸びていく。
僕が後退した瞬間、五号機の電源ランプが、ふっと点いた。
黄色い小さな光。
そして、ドラムが止まった。
泡が引いていく。窓が透けて、中が見えるようになった。
五号機の中は、空だった。
衣類も、手も、何もなかった。
ただ、コイン投入口のすぐ下、床に——。
一枚のコインが、転がっていた。
僕はそのコインを拾って、店を出た。
振り返ると、五号機の電源ランプは、まだ点いていた。
店を出て、歩道を歩きながら振り返ってみる。
五号機には、何もなかった。
でも、ポケットに入れたコインが、なぜか冷たかった。
その夜から、僕はコインランドリーに行っていない。
でもたまに、夜中にふと、五号機のドラムが回っている音が、聞こえることがある。
自分の部屋から、遠くから。