田舎の図書館の返却箱に、毎週同じ本が戻ってくる
2026年09月06日
実録。僕の実姉が地方の小さな図書館でボランティアをしている話だ。
舞台は長野県の人口三千人ほどの集落にある図書館。建物は昭和五十年代のコンクリート造りで、入口の返却箱には自動貸出のバーコードリーダーがついていない。本を返すときは、職員が手動で処理する仕組みになっている。
姉がボランティアで入った当初は、毎日退館時間に返却箱の処理をしていた。本を棚に戻し、返却日をスタンプで押す。退屈だが平穏な作業だと思っていた。
ある火曜日、姉が返却箱をあけると、一冊の本が入れられていた。
表紙は濃い青色で、タイトルは「青い鳥」。森鴎外の短編集だ。姉は「あ、これは私が先月、棚整理の時に誤って返却箱に入れてたやつだ」と思った。
でも、おかしいことに気がついた。
返却日のスタンプが押されていない。
それだけではない。本のページをめくると、どこもかしらも指でめくった跡が、薄く白くなっていた。誰かが本を読んだ形跡があるのに、ページ自体は新しいまま。まるで、本が自分の意志でページをめくったような跡だった。
姉は気に留めず、スタンプを押して棚に戻した。
次の火曜日、同じ返却箱に、同じ本が戻っていた。
表紙の青さは先週より少し褪せている。ページはさらに白くなっている。そして、今度はページの端に、鉛筆で小さな印がついていた。
三つ並んだ点。
「……誰かが読んだんだな」と姉は思った。
三週目も同じ本。今度はページに、字が書かれていた。
「まだ読んでないの」
姉の背筋が寒気で走った。図書館の返却箱に入っている本に、誰も字を書いてはいけない。それは破棄処理の段階でさえ、職員は本に一切の書き込みをしないルールを守っていた。
姉は本を持って職員室に行き、館長に報告した。館長は笑って「ボランティアの人、面白いことを言うわね。誰かのいたずさよ」と言った。
でも、姉は見た。
館長が返却箱をあける時、必ず一度だけ立ち止まり、箱の底を覗き込んでいるのを。
四週目、返却箱には本が三冊入っていた。
一番上にあったのは「青い鳥」だった。その下には、姉が先月紛失したという懐中電灯が、きれいに拭かれて入れられていた。
そして本の最後のページに、新しい字が書かれていた。
「次は私が返却する」
姉は翌週からボランティアを辞めた。
返却箱の底には、まだ何かがいる。