アスファルトが昼間の酷熱を吐き出し、湿った夜気が肌にまとわりつく熱帯夜。 塾の帰り道、私はいつの間にか、地図アプリにも載っていないような狭く、入り組んだ路地に入り込んでいた。喉は焼けるように乾き、唾液さえも枯れ果てている。息をするたびに、熱を帯びた空気が喉の粘膜を削り取っていくようだ。水筒の中身はとうに空で、コンビニを探そうにも足が鉛のように重く、視界の端では光の粒がチカチカと不吉に明滅し始めた。

その時、暗がりの奥底に、ぼんやりと青白い不健康な光が浮かび上がるのが見えた。 そこには、驚くほど古びた一台の自動販売機が、まるで獲物を待つ蜘蛛のように鎮座していた。塗装は無残に剥げ落ち、黒ずんだ蔦が締め上げる蛇のように本体を覆い尽くしている。数十年は放置されているはずの異様な佇まいなのに、取り出し口の照明だけは、手術室のように無機質で清潔な光を放っていた。私は思考を放棄し、ポケットの奥に眠っていた百円玉を投入口へと滑り込ませた。

暗がりに鎮座する自販機

路地の奥、不健康な光を放つ異形の機械。

「……なんだ、これ。全部、同じじゃないか」

並んでいるボタンを見て、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。コーラもスポーツドリンクも、そこには存在しない。並んでいるのは、真っ白な地色に黒々とした書体で「?」とだけ書かれた、感情を排したボタンの列。ただ一つ、最下段の大きなボタンにだけ、誰かが狂ったように爪で書き殴ったような、赤茶けた文字でこう記されていた。

「おまかせ」のボタン

「?」の列の先に、血のような文字で記された選択肢。

『おまかせ』

喉の渇きは、もはや理性を焼き切るほどだった。私は縋るような思いでそのボタンを全力で叩き込んだ。ガコン——腹の底に響く、墓石を落としたような重苦しい音が響き、取り出し口に真っ黒なアルミ缶が転がり落ちた。 震える手でプルタブを引くと、中からは無色透明な、けれど妙に粘り気のある液体が出てきた。一口飲む。それは驚くほど冷たく、脳の芯を痺れさせるほどに甘美だった。一瞬で、細胞の一つ一つが潤いを取り戻していくような錯覚に陥る。

だが、その液体が食道を通り過ぎた直後、脳の深部を太い針で貫かれたような、鋭い激痛が走った。

「うっ……。あ、あぁ……」

視界がぐらりと歪み、自分の中の「何か」が強引に引き抜かれる感覚に襲われた。 それは、私の魂の一部と言ってもいい記憶だった。幼い頃、雨の日に母が作ってくれた、スパイスの香りが家中を満たしていたあのカレー。その味、その温もり、その時の幸福感。ついさっきまで鮮明だった光景が、まるで古い写真が燃え上がるように、急速に灰となって崩れていく。私が大切に抱えていた記憶が、この「飲み物」の代金として徴収されたのだ。

そして、空っぽになった場所に、異物が侵入してきた。 それは、濁流のような他人の記憶。暗く、冷たい土の下で、爪が剥がれ落ちるまで壁を掻き毟り、呼吸ができなくなっていく誰かの最期。耳元で、自分の声ではない誰かの、喉を潰したような絶叫がリフレインする。私は見たこともない悪夢を、自分の体験として「思い出して」しまった。

翌日、私の渇きは、呪いとなってさらに激しさを増していた。家の蛇口から出る水をいくら飲んでも、市販の飲料をどれほど流し込んでも、喉は砂漠のように乾き続ける。それどころか、普通の水を飲むと吐き気がする。体が拒絶している。あの自販機の、あの「対価」を求める液体でなければ、この苦しみからは逃れられない。

喉が焼ける。唾液が出ない。舌がひび割れ、唇が裂ける。授業中、何度も保健室に行き、水を飲んだ。だが効果はない。クラスメイトが心配そうに見てくるが、その視線すら煩わしい。

私は夕闇が降りるのを待たず、取り憑かれた足取りで再びあの路地裏へと向かった。自販機が見えた瞬間、体が震えた。渇望と恐怖が混ざり合った、複雑な感情。

二本目。昨日まで一緒に笑い合い、将来を語り合った親友との絆が、砂の城のように崩れ去った。彼女の名前は覚えている。だが、一緒に過ごした時間の記憶が、まるで色褪せた写真のように、急速に輪郭を失っていく。代わりに、炎に包まれた廃屋の中で出口を見失い、熱さに身悶えする老人の絶望が私の脳を焼いた。その老人の最期の瞬間——皮膚が焼け、髪が燃え、目玉が溶けていく感覚が、私の記憶として刻まれる。

三本目。自分の家までの道を忘れた。何度も通ったはずの道が、見知らぬ迷路に見える。家に辿り着いても、玄関のドアを開ける手順が思い出せない。鍵穴はどこだ?この鍵は何の鍵だ?母が出てきて、驚いた顔で私を見た。

「どうしたの、そんな顔して」 「……誰?」

私は本気で分からなかった。この女性は誰だ?そして、流れ込んできた新しい記憶——雪山で凍死していく登山者の、徐々に意識が遠のいていく感覚。寒さが痛みから快楽に変わり、眠りに落ちていく恐怖と安堵。

四本目。鏡に映る自分の顔を見ても、そこに映る少年が誰なのか、理解できなくなった。これは誰だ?なぜ私と同じ動きをする?鏡を叩いた。割ろうとした。だが割れない。そして、新しい記憶——海で溺れる子供の、水が肺に入り込み、もがき苦しむ最期。

飲むたびに、私という人間を形作っていた美しい欠片が、剥ぎ取られた皮膚のように一枚、また一枚と失われていく。初恋の記憶、家族との旅行、誕生日の喜び——全てが消えていく。その代わりに、この世に渦巻く無数の「無念の死」が、私の脳を汚染していった。

五本目、六本目、七本目——。

もう数えることもできない。自動販売機の前に座り込み、次々と缶を空けていく。喉の渇きは一向に収まらない。いや、もはや渇きすら忘れた。ただ飲み続ける。機械的に、口を開け、液体を流し込み、空き缶を捨て、また百円玉を入れる。

どこから百円玉が湧いてくるのか分からない。だが、ポケットには常に百円玉がある。

私のアイデンティティは、もはや継ぎ接ぎだらけの、他人の不幸でできた怪物のようなものに変わっていた。私の中には——

交通事故で即死した少年。 病院のベッドで孤独に死んでいった老婆。 自殺した中年男性の最期の絶望。 工事現場で生き埋めになった作業員の、土に押しつぶされる恐怖。

数え切れないほどの「死」が、私の中で蠢き、叫び、泣いている。

最後の一口を飲み干した時、私の内側には、私自身の記憶はもう一片も残っていなかった。名前も、感情も、自分がかつて「人間」であったという認識さえも、液体の甘美な味とともに霧散した。

ふらりと立ち上がる。足元がおぼつかない。この体は誰のものだ?この手は?この目は?

私がふらりと、冷え切った自販機の鉄板に手をついた瞬間、機械の内部から「ギチギチ」という歯車が噛み合う不快な音が鳴り響いた。自販機が——笑っている。

ガガガ、ガコン——。

ボタンの一つ、真っ白だった「?」マークが、一瞬にして鮮明な画像へと変貌した。それは、完全に魂を抜かれ、虚ろな目でこちらを見つめる私自身の顔だった。口は半開き、涎を垂らし、瞳孔は開ききっている。もはや人間の表情ではない。抜け殻だ。

その下には、新しい商品名が、血のようなインクで冷酷に印字されている。

新商品:中学二年生・私

自販機に並べられた、新しい「記憶」の代価。

『中学二年生・私:終わらない渇きと喪失』

私の体は、まるで古びた映像のノイズのように激しく揺らぎ、次の瞬間、自販機の冷たい鉄板の中へと吸い込まれていった。体が平面化していく。三次元が二次元へと圧縮される。骨が、肉が、血が——全てがラベルの一部になっていく。

暗い。冷たい。そして——無数の声が聞こえる。

自販機の中には、私だけではなかった。何十人、何百人という「商品」たちが、ここに閉じ込められている。私たちは液体になり、缶の中に詰められ、次の犠牲者を待っている。

暗闇の中で、私は気づく。私の記憶は消えたのではない。商品として、パッケージされただけだ。そして、誰かがこの缶を選んだ時、私の記憶——いや、私という存在そのものが、その人の脳に流し込まれる。

私は消えたのではない。ただ、形を変えただけだ。

無数の死の記憶の集合体として。

暗い路地裏。再び重苦しい静寂が支配する。次にこの呪われた路地に迷い込み、喉を乾かせた誰かが「おまかせ」を押した時。その者の脳内には、私が最後に味わった「自分が自分ではなくなっていく絶対的な孤独」という最高の記憶が、冷たい毒液とともに流れ込むことになるのだ。

そして、その人も——やがて新しいボタンになる。

自販機のボタンは、日に日に増えていく。

いつか、この自販機は無数のボタンで埋め尽くされる。

全て、かつて人間だった者たちの顔。