終電後のバスが止まらない
2026年08月20日
実話。僕が直接見たわけではないが、目撃した友人の体験談をまとめたものだ。
友人の佐藤(仮名)は30歳、愛知県・名古屋市の中心部で働くエンジニア。週に2〜3回の深夜残業で、終電を逃すことも珍しくない。
彼が通うバス停は、マンションから徒歩5分の場所にある。路線バスは深夜2時までの運行で、その後はいくら待っても来ない。
ある冬の夜、佐藤さんは終電を逃した。午後11時50分の最終バスがちょうど出ていくのを見て、次のバスは午前0時15分だと確認した。
「15分くらい、コンビニで coffee でも飲んで待てばいいや」
そう思って、バス停から200メートルほど離れたコンビニに入った。コーヒーを買って戻ってくると、バス停にはすでに一人、女性が立っていた。
黒いコートの女性。帽子をかぶり、顔は半分隠れていた。手には大きなバッグ。
佐藤さんは特に気にせず、隣に立った。
「あと15分ですね」
佐藤さんが言うと、女性はうなずいた。声は出さなかった。
15分後、バスのライトが曲がり角から現れた。佐藤さんが手を上げると、バスはゆっくりと近づいてきた。
だが、バス停には止まらなかった。
徐行しながら通り過ぎていく。窓ガラスには、運転手の顔がはっきりと見えた。
佐藤さんがまた手を振る。バスはまた徐行する。しかし、止まらない。
「おい、止まれよ」
佐藤さんが叫ぶと、バスはゆっくりと走り去った。
佐藤さんは苦笑して、また待とうとした。
その時だった。
バスのライトが再び曲がり角から現れた。同じバスだ。
佐藤さんは手を上げた。バスはゆっくりと近づいてきた。
そして、バス停の前に、ようやく止まった。
ドアが開く。運転手が佐藤さんを見つめている。
「乗りますか?」
「いや、待って。今のはなぜ止まらなかったんですか?」
運転手は黙って、佐藤さんを見つめ続けた。
その間、バスの窓から、黒いコートの女性の姿が見えた。
バス停にいた女性と全く同じ女性が、バスの後部座席に座っていた。
佐藤さんは背筋が凍るのを感じた。
「……乗らないんですか?」
運転手が言った。
佐藤さんはその場を去った。歩いて帰った。
翌日、佐藤さんは友人にその話をした。
「バスの運転手、変な顔してたよ」
友人が言った。「でもさ、そのバス停、深夜バスの停留所じゃないよ」
佐藤さんは凍りついた。
そのバス停は、深夜バスの停留所ではない。昼間の路線バスしか止まらない停留所だった。
深夜に運行されるバスは、500メートルほど先の別の停留所しか止まらない。
「つまり、昨日乗ってきたのは……」
佐藤さんは言葉を詰まらせた。
その後も佐藤さんは、終電を逃した夜にそのバス停を通りかかると、黒いコートの女性が立っていることがあるという。
いつも、バスの来る方角を向いている。
佐藤さんが近づくと、振り返って、ゆっくりとうなずく。
そして、バスのライトが現れると、その姿は消えている。
バスの窓から、後部座席に座っている。
佐藤さんはもう、そのバス停を通らないようにしている。
タクシーを使う。
ただ、たまにふと気になることがある。
もし、そのバスに本当に乗っていたら、どこへ向かっていたのか。
そして、運転手の顔を見て、佐藤さんが何を思ったのか。
佐藤さんはそうも言う。
「運転手の顔は、よく見れば分かったんだ」
「あの顔、僕に似ていた」