深海の住人

東京湾を渡る深夜フェリー。最後の下船客が降り立ったのは平成の初めの頃だったろうか。伊豆大島・大瀬崎港には薄明の空と、遠くに見える富士山のシルエットだけが残っていた。

その夜、大島の旅館「潮騒閣」にはたった一人の宿泊者がいた。東京からやってきた建築学者・松井修一だ。彼は大島の古民家再生に携わる人物で、「海女が住む昔からの宿」という噂話を耳にして調べてくることにしたのだ。

潮騒閣は現在営業していない。正確には、存在しない旅館として扱われている。大島の地図にも載らず、行政の登記簿にも記録がない。「かつてここにあった宿」だと証言できる大島在住者は誰もいない。ところが——。

79号室の条件

東京のある建築系ブログで、次の記述が見つかる。

「平成16年の夏、伊豆大島の海沿いを車で走っていた時に、一軒の旅館が見えた。看板には『潮騒閣』とあり、棟番号は79だった。停まってみると受付に誰もいなかったが、2階の窓から人間の姿が見えたのでそのまま車中で一夜を明かした」

これだけなら都市伝説のひとつで済むだろう。だが続けて書かれているのが問題だ。

「次の日に改めて行ってみようとした時、その場所には何もない。駐車場は雑草に埋まり、礎石さえ見当たらない。しかし地面だけは平らになっていた。人の足跡がある」

海女の条件

大島では昔から「もう一度戻ってくる」という言い伝えがある。伊豆の海女たちは、沖合に沈む島の宮を祀る際、「潮が引いた先に見えるもう一つの島」を経由する。その場所では朝日が東から昇らないそうだ。そして何より重要なのは——

帰ってきてからも、二度と戻ってはならない。

大島の伝承にはこうある。「一度『もう一つの島』に行った者は二度とこの世にはいない。しかし海は彼らを完全に捨てはしない。潮が満ちるたび、彼らの声が聞こえる」

松井修一の最後の夜

実際に潮騒閣を訪れたという人物のうち一人——建築学者・松井修一(52歳)の遺品の中から、以下の手記が発見された。東京へ帰還した翌日に事故死した後だった。手紙の中には「潮騒閣」の名前は書いていなかったが、以下の一文が目立った。

「79号室は窓から海が見える。しかし実際に見えるのは海ではなく、深い青の闇だけだった。」 「鏡を見ると自分の顔が少し歪んで見えた。特に耳のあたりが目立つ」 「朝目覚めると首の皮に何か引っかかりがある。剥がそうとしたら血が出た」

彼の死因は「溺死」と診断された。肺の中には大量の海水と、稀な海草の残骸が見つかっていたのだが——さらに奇妙なことに——

鼻腔・気管支から微量の貝殻の破片が検出された。

現地の反応

大島ではこの話を聞くと全員が同じ反応を示すという。

「あぁ、79号室か……あの旅館はもうないですよ」

と笑い飛ばす。しかし目を合わせることなく、必ず右手を左胸に添える動作をするのである。「もう一つの世界へ行った人への合図だ」という説明は誰もしなかったが——彼らはどうしてもそのしぐさを見せたがる。

結末

松井修一の手記の続きが存在するかどうかは不明である。彼の遺族によれば、手紙は一信のみで、それ以上のメモリーファイルはなく、ブログの投稿データも「保存されていない」という。唯一彼が残したものは79号室に関する情報のみであり——

「鏡を見ると自分の顔が少し歪んで見える」

この一文は、実際に松井修一の死後の写真整理で見つかった手記の一部で、彼の目元だけが不自然に引き延ばされていたと報告されている。

東京へ戻るフェリーの中で、ある乗客は「潮騒閣の79号室の窓から海ではなく深い青の闇だけが見えた」と呟いたという。その乗客の名前は誰も覚えていない。