実家の納戸に、僕が帰るまで誰かが住んでいた話
2026年09月08日
祖父が亡くなってから、実家の片付けを始めたのは去年の冬のことだった。
実家は愛知県の田舎、駅からも徒歩二十分以上かかる場所にある。母は十年前に他界し、父は祖父と二人で暮らしていたが、祖父の病気がきっかけで実家を出て、父も都会の小さなアパートに引っ越した。僕はその祖父の葬儀以来、実家には帰っていなかった。
初日、まず手付けたのは二階の寝室。父の服や本、写真立てを段ボールに詰めていくだけだった。二日目は台所、風呂場、トイレ。三日目、僕はふと納戸の扉に手をかけた。
納戸は二階の廊下の奥にある。幅一畳、奥行き二畳ほどの部屋で、祖父が生前、物をしまう場所として使っていた。鍵は壁についていて、いつも祖父が持っている鍵で開けていた。
しかし、鍵穴が錆びて回らない。無理に回そうとすると折れてしまいそうだ。仕方ないので、近所の工務店に電話して鍵を開けてもらおうとしたのだが、その時、ふと気づいた。
納戸の扉の隙間から、風が抜けていたのだ。
普段はぴったり閉まっているはずの扉が、数ミリ開いている。鍵がかかっているのに、扉が開いている。
工務店の人にも見てもらったが、鍵は正常に機能している。壊れていない。なのに、なぜか扉が開いている。
「古い建物はそういうことがありますよ。熱膨張で鍵がずれることも」
そう言われて、僕は納得した。古い家だ。仕方ない。
その夜、実家で初めて一人で過ごした。二階の部屋で寝ようとした時、ふと音がした。
ガタ、ガタ、ガタ。
納戸の方向から、何か重い物が転がる音。
僕は耳を澄ました。音が止んだ時、また始まった。今度はカチカチ、カチカチと、金属が当たる音。
「ネズミか……」
そう言い聞かせて、枕に耳を当てて寝ようとした。すると、また違う音がした。
ゴソゴソ、ゴソゴソ。
まるで誰かが納戸の中で、物を捜しているような音。
僕は起き上がった。耳を納戸の扉に近づけた。音はそこで止んだ。
次の日、僕は納戸の開け方を調べた。鍵ではなく、内側から開ける仕組みがあるのだ。祖父は鍵をかけるたびに、内側のレバーを回していた。
内側のレバーを回すと、扉が内側に開いた。
中を覗き込んだ。
納戸の中は、完全に荒らされていた。
物が全て床に投げ出され、埃が立ち込める。だが、僕が驚いたのは埃の入り方だった。
埃が、納戸の中央にだけ積もっていなかったのだ。
四方八方から埃が寄ってくる中で、中央だけが床の板が露出している。まるで誰かが、納戸の中央に座っていた跡のように。
僕は納戸の隅を覗き込んだ。古い着物、布団、段ボールが山積みだ。その山の下に、何かがあることに気づいた。
段ボールの隙間から、白い物が覗いていた。
スリッパだった。
男のスリッパ。埃で汚れているが、まだ形を保っている。新しい。おそらく数年前のもの。
僕はスリッパを拾い上げた。軽かった。中に何か入っている。
スリッパの中からは、乾いたご飯粒が数粒出てきた。
僕は胃がむかつくのを感じた。納戸の床を見たら、埃が薄くなっている場所が、納戸の中央から、廊下の方へ向かって、足跡の形で薄くなっていた。
納戸から廊下へ、外へ出る足跡が。
その夜、僕は実家を出て、ホテルに泊まった。翌日、朝一番で兄に電話した。
「納戸、開けた?」
「うん。おかしなことになってたよ」
「何があった?」
「……中、誰かが住んでたみたいだ」
兄の声は震えていた。
「スリッパが二足、中にあった。新しい。そして、ご飯の残飯が、いくつかの場所で確認できた」
僕は電話を握りしめた。
納戸の扉は、内側から鍵がかかっていた。外から開けることはできない。
誰かが、納戸の中で生きながら、外へ出ていたのだ。
祖父が亡くなってから、僕は実家に一年半帰っていなかった。
その間、誰かが納戸に住んでいた。