観測日誌
2026年07月20日
物件管理人として入居者ごとの整理作業を引き受けているうちに、ある部屋の片付けの仕方が他の人と違っていたことに気づいた。
大家から渡された部屋番号は「302号」。入居者は「中原 和夫(61才)」「2年以上前に他界」— その一言だけだったが、部屋の状態が妙に整然としていて、むしろ不自然な潔さを漂わせている。
机の引き出しを開けた瞬間、私は違和感を覚えた。
中のノートはすべて同じ罫線のノートで、日付順に並んでいる。表紙には「第〇〇号棟観測」と書いた文字がペンで書かれている。
7月3日
今日は朝6時半から観察開始。 対角線上の501号に入居した女性は毎日7:42分にコーヒーを淹れ始める。正確すぎる。 追記:彼女は左手人差し指に傷がある(推定、包帯の巻き方で)。
8月17日
403号男性が今日初めて出勤時に出会った。ネクタイの色は薄いグレー。「毎日同じ」を疑ったがカチッと外して確認。違う色だった。拍子抜けした。 ちなみに彼は毎週水曜日にパン屋で「いつもの」と言っている。店員には名前を覚えられていない。
最初のうちはただの趣味ノートのようだと思った。しかし、ページをめくるにつれて奇妙な記述が増えていく。
10月2日
2Fの女性(301号か?)が階段で転んだ。「痛かった?」なんて尋ねられなかったのは私がいないからか。いや、いても声をかけられない理由がある。記録するだけでいいのだと自分に言い聞かせている。
12月14日
今日は「第97回」に該当する日かもしれない。何年も前から続けているので正確な数はわからないが、数字を見るとふっと冷たいものが胸を走ったことがある。奇数の日が続く。偶数もやってくる。その境目が怖いのだと気づいたとき、もう遅かったのだろう。
最後から3段目あたりに、突然の文面の変化がある。
2026年1月28日 先ほど見つけた。 対角線下の部屋には「第45回」を観測している者がいると知った。つまり彼も私を……いや違う。彼は私を観察していたのではない。私が観察対象だった可能性はもっと低い。
ノートにはここで途切れている。最後のページの一部だけ残された、消しゴム跡のような淡い鉛筆の痕。
大家が「中原さんは一人暮らしで、近所付き合いも特になかったらしい」なんて言っていたのは、本当だったのか。
私はノートを抱えたまま長い時間立ち尽くした。302号部屋の窓から外を見ると、向かい側にもう一つ同じサイズのマンションがあり、ある階のカーテンが開いていた。中には机の上に開かれたノートが置いてあるのが見えたような……いや単なる勘違いだろう。
ただ、その日だけなぜか「第〇〇号棟観測ノートの次のページ」に書くべき内容が頭から離れなくなった。
補足:発見者の記録(ペンで追記)
この部屋を片付けることにした理由について。 オフィスワークの片付け作業を受けていると、だんだん見えてくるものがあるのだ。入居者の生活パターン・習慣・消去しようとした痕跡。特に中原さんのノートは「日常を監視している人」が書いたものだが、彼自身が観察され始めてからというもの行動に何かの変化が——
私が302号に入ったのは1月3日の夜だった。暗かった。 電気をつけるまで気づかなかった。
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