会社員である知人の田中(仮名・28歳)の話だ。彼が勤める会社は、都内の神田にある中規模な広告代理店のオフィスだった。

ある日、田中が残業でオフィスに残っていると、23時を回った頃だった。静かなオフィスに、突然プリンターが作動する音が響いた。

「あ、まだ印刷データが残ってたか」

そう思いながらも、彼は特におかしいとは思わなかった。印刷データは自動で溜まるし、翌朝の準備として夜中に回すことは珍しくない。

しかし、印刷が終わった後、田中がおかしいと感じたことがある。

印刷された用紙の上に、水滴のようなものが付いていたのだ。オフィスには給湯室以外に水回りはない。窓も閉まっている。なのに、用紙が湿っていた。

「結露かな」

田中はそう思いつつ、その用紙を捨てた。

その日以来、毎晩のようにプリンターが作動するようになった。田中は夜中にオフィスに残ることが続き、ある夜、印刷音が鳴るのをじっと待った。

プリンターが作動し、用紙が一枚ずつ吐き出されていく。

しかし、印刷された用紙には、何のデータも印刷されていない。真っ白な用紙が、延々と出力され続けていた。

田中はプリンターの前で立ち尽くしていた。

そして、その時だった。プリンターから、かすかな声が聞こえた。

「たなか……たなか……」

田中は背筋が凍るのを感じた。自分の名前が、プリンターの中から呼び出されていたのだ。

「誰か……誰かいるんですか」

田中の声に、プリンターは答えた。

「たなか……印刷……たなか……」

翌日、田中がプリンターのカートリッジを確認すると、インクが完全に枯れていた。真っ白な用紙を出力し続けるには、あり得ない状態だった。

田中はプリンターを会社に戻すことにした。その夜、彼はオフィスに戻り、プリンターの電源を抜いた。

そして、その日以来、プリンターは二度と作動しなくなった。

しかし、一ヶ月後、田中は退職することにしていた。

「なぜ?」

そう尋ねる同僚に、田中はこう答えた。

「プリンターが、私の名前を呼ばなくなった日から、オフィスで足音だけが聞こえるようになったから」

田中が退職した後も、後任の社員たちは口を揃えて言う。

「夜中に、プリンターから誰かが泣いている音がする」

プリンターから漂う怪異