定時のないオフィス
2026年07月21日
新人研修メモ 2026年3月4日(水)
初出勤。七階建だとの説明だったけれど、エレベーターの行き先ボタンを見ると十一階まである。担当者の田中さんによれば「上の四階は未使用」とのことだった。念のためメモしておく。
デスクに配られたPCの起動時間:2025/12/28 09:03:17。現在が三月だというのに、一月前になる。念のため再起動を試みたところ起動ログも同じままだった。「初期化待ち」と言われた。
田中さんは「最初の三日間は慣れるまでです」と笑顔で言った。顔つきに何か違和感があったが、新人の私には判断がつかなかった。
出勤簿(抜粋)
| 氏名 | 入庁 | 退庁 |
|---|---|---|
| 佐藤一(本人) | 2026/03/04 | — |
| ○○一(重複検出) | 2025/12/28 | 常時 |
システム上の警告:「同姓同名者二名が同時に在籍状態です。いずれかを確認してください」
新人研修メモ 2026年3月7日(土)
今日で実質四天目だが、カレンダーでは三月七日になっている。先週と今週の境界がどこかわからない。「休みの日を省くと三日目だ」と田中さんは言ったのでそう信じたくなる。
同じフロアにいる先輩は皆名前を知らない。しかし「ずっと一緒に働いている」と話す。私の机の引き出しには名刺入れがあり、中には私の古い名刺が入っていた。日付は半年前とある。
出勤簿(追記)
| 氏名 | 入庁 | 退庁 |
|---|---|---|
| 佐藤一(本人) | 2026/03/04 | — |
| 佐藤一 | 不明 | 2025-12-28常時勤務中 |
エレベーター内部の構造は「階数≠建築構造」を意味する
新人研修メモ 2026年3月14日(金)
今日も出勤した。「もう来たの?」と言われた。初日来たはずだと言ったが、田中さんは驚かず「また来ると言っていた」と言った。
ビルから出ようとエントランスに行ったら出口がなかった。壁に変わっている。「避難口は別の階にありますよ」と後輩(?)に言われた。(この人まだ三日前に入ってきたばかりのはずだ。)エレベーターを開けても七階しか閉まらない。「上の階への対応は未定」「運用上問題ありません」との回答だった。
出勤簿(最終更新不明)
| 氏名 | 入庁 | 退庁 |
|---|---|---|
| 佐藤一(本人?新規?) | 2026/03/04 | — |
| 佐藤〇一(旧来者。常勤) | (日付欠落) | (欠落) |
田中さんが最後に見かけたのは三月十一日の夕方(だったと思う)。「新人のあなたはもう慣れたと思います。後はもう一人と働いていればいい」と言った。その「もう一人」は、私にそっくりな顔をしていた。ただし年上だ。その人は一言も話さず、ただ私をじっと見つめていた。
勤続年数欄には旧来者のみ数字が入る。新人の欄は空白のままずっと変わらない。
出勤簿の更新権限を持っている者も「未定」に変わった。「常時勤務者は更新不要」という理由だ。
各階のレイアウトは同一であるが、椅子の数だけが増えている
定時の時間はある。ただその時間になっても誰も帰らない。「帰る」という行為自体を定義する出口が、ビルには存在しないことになっている。新人研修メモはまだ途中だ。更新されるたびに「今日で何日目かの欄」に、別の人間の数字が入っている。「もう一人の佐藤一」が私の代わりに書いているのか。それとも、私の記憶を書き換えるために、定時を押しやっているのかはわからない。
ただ一つ確かなのは、出勤簿には私という名が二つあるということだ。そしてどちらも「現在勤務中」となっているということだ。そのどちらが正しいのかはもう誰にも調べられないことになっている。退庁ボタンを押しても、システム上の出力先は常に「在席確認」に固定されている。
「あなたはもう定時だ。しかし定時の後の行為については定められない。次の勤労までお待ちください。」
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