立体駐車場のフロールシフト
2026年08月19日
実は自分の話なんだけど、信じられないと思う。でも、書かずにいられない。
去年の秋から、会社で残業が増えた。僕の会社は都内のオフィスビルで、地下三階の駐車場に月極でスペースを借りている。毎日、同じルートで帰っている。エレベーターで地下一階まで降りて、エスカレーターで駐車場へ。通路の蛍光灯が数個点いていないのはいつものことだし、二時を回ったコンビニの明かりが薄く漏れるのも、もう慣れた。
それが、去年の十一月から変わってきた。
最初は小さな違和感だった。地下三階の駐車場に車を止めて、翌朝戻ってきたら、車がいつもと違う場所に停まっている。僕は「あ、昨日の帰り、少し斜めに寄せたっけ」と思った。駐車場は広いから、ちょっとずれることもある。
でも、それが毎日続いた。
一日目:A-12の枠の中央に停めてきたはずの車が、翌朝はA-11寄りに寄っている。 二日目:今度はA-11の端に寄っている。 三日目:A-10のラインにまで移動している。
「もしかして、他の人が押しやったのかな」とも思った。でも、月極の駐車場だし、他人が勝手に動かす理由がない。それに、車のドアロックはかかったまま。エンジンはオフ。キーは僕のポケットにある。
四日目以降、僕は実験を始めた。駐車する際に、車の位置をメモし、タイヤの位置にチョークで印をつける。翌朝、車を確認する。
印は消えていた。
車は、僕が止めた場所から、毎日、決まった方向に三十センチから一メートルずつ移動している。左側へ、左側へ。まるで、何かに引かれているように。
五日目、僕は怖くなって、駐車場の監視カメラをチェックした。管理会社に依頼して、昨夜の映像を見てもらった。
監視カメラの映像には、何も写っていなかった。
駐車場は暗いけど、赤外線カメラだから、動くものは見えるはずだ。でも、映像には車が静かに停まっているだけで、誰も寄っていかない。なのに、朝になると車は動いている。
六日目、僕は我慢できなくなって、夜中に駐車場に潜んだ。
地下三階の駐車場。蛍光灯がポツポツと消えて、残った灯りだけがうっすらと床を照らす。静かだ。車のエンジン音も、人の足音も、何も聞こえない。
一時を回った頃、音がした。
「ガタッ」
車のサスペンションが、軽く沈む音。車の横に寄って、懐中電灯で照らした。
誰もいない。
でも、車が、ゆっくりと、左へ動いている。タイヤが床を転がる音。明らかに、誰かが押しているわけじゃない。車のドアも開かない。
僕は呆然と、その光景を見ていた。
車が停まったのは、駐車場の奥の壁際だった。A-01の枠。そこは、元々駐車スペースではなく、備品置き場のはずだ。
翌朝、僕は管理会社に言った。「昨夜、車が動いていました」
管理担当の中年男性は、少し顔色を変えて、言った。
「あの、A-01の枠、最近使われていないんですよ。でも、毎週のように、車がそこに停まっているのが見つかるんです。前にも、何台か」
「前にも?」「うん。でも、どの車も、オーナーは『自分が止めた』って言うんですよ。鍵もかかってるし、キーもある。おかしいって」
僕は車を見に行った。A-01の枠に、自分の車が停まっていた。
そして、気づいた。
A-01の壁には、小さな穴が開いていた。直径、一センチくらい。その穴から、薄く、白い煙のようなものが、少しずつ出ている。
車のサイドミラーに、指の形をした霜が、薄くついていた。
もう、その駐車場には行っていない。でも、昨夜、家の玄関のドアノブに、霜がついていた。冬じゃないのに。
車は、また動いている。たぶん、僕の家の中にも。