知人の話。彼の名前は田中(仮名)、32歳、都内のWeb企業に勤めている。

田中が2年ほど前に住んでいたのは、築15年のマンション。地下2階の立体駐車場に専用スペースがあった。

「地下1階に降りると、いつも変な違和感があったんだ」

田中がそう言い出したのは、ある金曜日の深夜だった。

彼が仕事から帰ってきて、地下駐車場に車を止めた時のこと。日頃の疲れもあって、その日はもう何も考えず、さっさと帰りたい気持ちでいっぱいだった。

車を降りて、エレベーターホールに向かおうとした瞬間、背後から「ピカッ」という光が目に入った。

振り返ると、自分の車のライトが点滅していた。

「あれ?」

誰もいない。地下駐車場には田中一人きりだった。

おそらく自動センサーが作動したのだろう。彼はそう思い、車に乗り込んだ。

エンジンをかけ、家の方へ向かおうとしていた。

その時だった。

「ピカッ、ピカッ、ピカッ」

またライトが点滅した。今度は一定のリズムで。

田中は凍りついた。

「やめて……」

彼はエンジンを止め、ドアから顔を出して周囲を見回した。

地下1階の駐車場は、薄暗い電灯が点在しているだけで、隅々まで明るくはない。柱の影が伸び、所々で水が滴る音が響いている。

誰もいない。

「またか」

田中は苦笑いして車に戻った。もう二度と点滅することはないだろう。そう思い、またエンジンをかけた。

その瞬間だった。

「ピカッ!!!」

今度は強烈な光で、車内が白く染まった。

田中は背もたれに体を押し付け、息を止めた。

ライトの光が、駐車場の柱の向こうに何かを照らし出しているのが見えた。

人影だった。

田中が息を殺して見ると、その人影はゆっくりと、自分の車の方向へ近づいてきた。

足音はしない。滑るように、床の上を漂うように近づいてくる。

田中の手が、ドアのハンドルにいった。

「開かない……!」

鍵がかかっていた。彼は慌ててロックを解こうとしたが、指がうまく動かない。

人影が車の横に立った。

田中は目を閉じた。

その時、ライトが止まった。

完全に、消えた。

車内は完全に暗闇に包まれた。

田中は目を閉じたまま、数秒間、動かなかった。

「……?」

静かだ。何も音がない。滴る音さえ、どこかへ消えていた。

そして、窓ガラスに、何か触れた感触がした。

指先が、外側から、ガラスを撫でるように動いていった。

田中は息を止めて、目を閉じたまま、その感触を待った。

触れられる。

触れられる。

触れられる。

三回。

そして、消えた。

田中は目を開いて、車内を点検した。

ライトはついている。エンジンは止まっている。

駐車場には、誰もいない。

「……バカな」

田中は、その場で泣きそうになった。

その日以来、田中は地下駐車場を使わなくなった。

エレベーターで直接、自分の車の止められた階まで降りるようになった。

「でも、まだ点滅するんだ」

田中が最後にそう言った時、彼の目はすでに、どこかへ行ってしまっていた。

「毎日、点滅する。でも、もう人影は出てこない」

「でも、ガラスに指が触れる感触は、まだする」

「もう、車には乗れない」