ノゾキ穴の向こう

実話です。僕の友人、Aの体験談。

Aは東京・世田谷の賃貸マンションで一人暮らしをしていた。築八年、オートロック付きの二階。セキュリティは完璧だと思っていた。

ある日の深夜、二時四十七分。

Aは寝室で寝ていた。突然、玄関のドアを叩く音が聞こえた。

「コン、コン、コン」

三回。正確な間隔で。

Aは飛び起きた。こんな時間に誰が来るのか。インターホンを確認しても、点灯していない。

「変な……」

そう思い、ベッドから降りて玄関に行った。ドアのノゾキ穴に目を当てて外を見た。

廊下は真っ暗だった。防光灯は点いているが、誰もいない。

「もう行ったのかな」

そう思い、引き返そうとした瞬間だった。

ノゾキ穴に、足が映った。

靴を脱いだ、裸足が、床に直立している。足先がノゾキ穴の中心にぴったりと位置している。

Aは息を止めた。裸足が、少しだけ動いた。親指が、床を軽く叩く。

「コン」

ノゾキ穴の外から、同じ音がした。

Aはドアから一歩離れた。そして、もう一度ノゾキ穴を見た。

裸足が、少しだけ近づいている。

「誰かいますか?」

返答はない。ノゾキ穴の中で、裸足が微かに震えている。

Aはスマホを取り出し、110番しようと手をかけた。その時だった。

裸足が、ノゾキ穴の中心から消えた。

代わりに、目が見えた。

ノゾキ穴のレンズの真ん中に、瞳孔が写っている。fisheye歪みで、目だけが異常に大きく、不自然に引き伸ばされて、Aを見つめている。

Aは叫んで、寝室に逃げ込んだ。ドアの鍵を全部かけた。スマホで管理会社を呼んだ。

「今夜、玄関のところに人がいました」

管理会社の担当者が言った。

「え? 廊下には誰もいなかったんですけど。防犯カメラで見ましたよ」

Aは震えながら、ノゾキ穴に目を当てた。

もう何も映っていない。

「でも、確かに——」

「カメラには何も映っていませんでした。多分、風か何かでドアが揺れたんじゃないでしょうか」

次の日、Aは防犯カメラの映像を確認した。

廊下の映像は、深夜二時四十五分から三時までの一分間だけ、ノゾキ穴の位置に黒い影が写っていた。

でも、影の形が、人間ではなかった。

二本の足だけが、床に接している。上半身は、ノゾキ穴のレンズの位置に、ただ一点だけ、黒く膨らんでいる。

まるで、レンズに顔を押し付けているように。

Aはその後、そのマンションを退去した。

「ノゾキ穴の向こうに、足だけ立っていた。でも、カメラには上半身が写らない。何でだろうと考えたけど——」

Aは言った。

「ノゾキ穴は、部屋の中から外を見るための穴だ。外から部屋を見るためには、顔を押し付けないと見えない」

「でも、カメラには上半身が写っていない。ということは——」

「その存在は、廊下には立っていなかった」

「ノゾキ穴のレンズの位置に、直接、張り付いていたんだ」

「カメラは天井から下を撮っている。ノゾキ穴の位置は、カメラの死角」