ノゾキ穴の向こうに、足だけ立っていた夜
2026年08月27日
実話です。僕の友人、Aの体験談。
Aは東京・世田谷の賃貸マンションで一人暮らしをしていた。築八年、オートロック付きの二階。セキュリティは完璧だと思っていた。
ある日の深夜、二時四十七分。
Aは寝室で寝ていた。突然、玄関のドアを叩く音が聞こえた。
「コン、コン、コン」
三回。正確な間隔で。
Aは飛び起きた。こんな時間に誰が来るのか。インターホンを確認しても、点灯していない。
「変な……」
そう思い、ベッドから降りて玄関に行った。ドアのノゾキ穴に目を当てて外を見た。
廊下は真っ暗だった。防光灯は点いているが、誰もいない。
「もう行ったのかな」
そう思い、引き返そうとした瞬間だった。
ノゾキ穴に、足が映った。
靴を脱いだ、裸足が、床に直立している。足先がノゾキ穴の中心にぴったりと位置している。
Aは息を止めた。裸足が、少しだけ動いた。親指が、床を軽く叩く。
「コン」
ノゾキ穴の外から、同じ音がした。
Aはドアから一歩離れた。そして、もう一度ノゾキ穴を見た。
裸足が、少しだけ近づいている。
「誰かいますか?」
返答はない。ノゾキ穴の中で、裸足が微かに震えている。
Aはスマホを取り出し、110番しようと手をかけた。その時だった。
裸足が、ノゾキ穴の中心から消えた。
代わりに、目が見えた。
ノゾキ穴のレンズの真ん中に、瞳孔が写っている。fisheye歪みで、目だけが異常に大きく、不自然に引き伸ばされて、Aを見つめている。
Aは叫んで、寝室に逃げ込んだ。ドアの鍵を全部かけた。スマホで管理会社を呼んだ。
「今夜、玄関のところに人がいました」
管理会社の担当者が言った。
「え? 廊下には誰もいなかったんですけど。防犯カメラで見ましたよ」
Aは震えながら、ノゾキ穴に目を当てた。
もう何も映っていない。
「でも、確かに——」
「カメラには何も映っていませんでした。多分、風か何かでドアが揺れたんじゃないでしょうか」
次の日、Aは防犯カメラの映像を確認した。
廊下の映像は、深夜二時四十五分から三時までの一分間だけ、ノゾキ穴の位置に黒い影が写っていた。
でも、影の形が、人間ではなかった。
二本の足だけが、床に接している。上半身は、ノゾキ穴のレンズの位置に、ただ一点だけ、黒く膨らんでいる。
まるで、レンズに顔を押し付けているように。
Aはその後、そのマンションを退去した。
「ノゾキ穴の向こうに、足だけ立っていた。でも、カメラには上半身が写らない。何でだろうと考えたけど——」
Aは言った。
「ノゾキ穴は、部屋の中から外を見るための穴だ。外から部屋を見るためには、顔を押し付けないと見えない」
「でも、カメラには上半身が写っていない。ということは——」
「その存在は、廊下には立っていなかった」
「ノゾキ穴のレンズの位置に、直接、張り付いていたんだ」
「カメラは天井から下を撮っている。ノゾキ穴の位置は、カメラの死角」