「冷蔵庫のチーズが毎日1cm減っている」
2026年09月09日
僕が一人暮らしを始めて三ヶ月目のことだ。
引っ越し当初は、自炊する暇もなかった。残業続きで、帰ってくるのは夜十時を回ることが日常だった。そんなある日、ふと気づいた。
冷蔵庫の棚に置いていたスライスチーズが、毎日少しずつ減っているのだ。
最初は「そういえば買ったっけ」と思い直した。コンビニで買ってきたチーズを、開封せずにそのまま入れていたから、パッケージが緩んだのかと。でも、開封済みのものも減っていた。
おかしい。毎日、決まった量のチーズがなくなっている。
「もしかして、自分が無意識に食べているのか」とも思った。睡眠時摂食障害というのがあるらしい。でも、朝起きたら口の中にチーズの味が残るわけではない。舌触りも違う。
でも、チーズは確実に減っている。
二週間後、僕は実験をすることを決めた。冷蔵庫の扉の裏に、細い糸を張ったのだ。夜中に誰かが開けたら、糸が揺れる。
その夜、寝不足でウトウトしているうちに、何か音がした。
「カチッ」
冷蔵庫の扉が開く音だ。
飛び起きた。暗いキッチンに、明かりが漏れている。冷蔵庫の扉が開いたままになっている。
中をのぞき込んだら、チーズの入ったパッケージが、半分だけ持ち上げられていた。底が宙に浮いている。
「……誰かいる?」
返事はない。
その日以来、僕は冷蔵庫に鍵をつけた。特殊なロックじゃなくて、ただ扉を閉めたあと、椅子を押し込んで、上に鍋を載せた。
次の日、チーズのパッケージが、床に転がっていた。
ロックも椅子も、鍋も、すべて元の位置にある。でも、パッケージだけが、冷蔵庫の外にある。
開封済みだったチーズは、もうなかった。代わりに、冷蔵庫の一番下の引き出しに、何か湿ったものが置いてあった。
生肉だ。パッケージもラップもない。ただの生肉が、そのまま引き出しに入っていた。
それ以来、冷蔵庫を開けるのが怖くて、夜中に水分補給することさえできなくなった。
大家さんに相談しようと思った。でも、大家さんは「一人暮らしはそういうものよ」と笑って、それ以上話を聞かなかった。
今日も夜、冷蔵庫から「カチッ」という音がした。
もう、開けないでおこうと思う。