叔父の遺品整理で、ベニヤ箱の中から1台の大判ブラウン管テレビが出てきた。Sony Trinitron CPD-G200、製造番号が薄れて読めない。電源コードも付いてきている。

試しにコンセント差してスイッチを入れた。「カチッ」と軽快なリレーの音と同時に画面が白く点灯した。ノイズ、ノイズ、白い砂嵐。

すると砂嵐が静まったのではなく「凍結」した。まるで止まらない写真のように、画面全体に一枚の風景が表示されている。リビング、天井とクローゼットが映っている。自分たちの部屋の真上だ。

父が「おい、今の何だぞ?」と言った瞬間、画面が変わった。都会の交差点、信号を待ってる人たちが写る午後の一瞬だった。どこの路地か知らない。

叔父はその交番近くの路上で倒れていた。「自然死」で処理されていた。だがTVは彼の日々の視界を最後に残していたのだろう。

画面は12分ごとにローテーションする。同じ場所のリアルタイムの映像が、次々と別の地点を映す。叔父が歩いた道順だとあとからわかった。

ある日の夜中、たまたま画面を見たら自分の部屋が映っていた。正確には十数年先の自分と妻の寝顔だった。ベッドから離れて、おじいさんは静かにリビングへ向かっている。しかし足がもたつかず、枕元の何かに触って一瞬立ち止まる。

画面に切り替えはなかった。

12分のスナップショットを繰り返すのではなく、時が経つごとに少し進んでいる。叔父の死後このTVは自分自身の世界にループし続けているらしい。

朝になると画面に白砂嵐が残る。だが今日砂嵐の中から握られた指が見える。