父が逝って半年後、押し入れの段ボールを整理していたら、古い腕時計が出てきた。

スイス製のメカニカル。文字盤に細い数字が並び、夜光塗料がうっすら残っていた。父が若い頃から使っていたと、昔一度だけ聞かされたことがある。

修理に出すことにした。

商店街の路地裏に、小さな時計屋があった。ガラスケースに古い時計が並び、壁一面の置き時計が一斉にカチカチと刻んでいた。店主は七十代くらいで、ルーペを額に当てたまま迎えてくれた。

「二週間いただきます」

受け取りに行くと、文字盤はきれいになって、針もなめらかに動いていた。しかしスマホと比べると、ちょうど七分早かった。

「少し合わせてもらえますか」

店主は時計を受け取り、ガラス越しに確認して返してくれた。

「合わせましたよ。ぴったりです」

帰り道、また確認した。

七分早かった。

父から受け継いだ時計

針は七分先を指している。幽霊のように、もう一組の針が透けて見えた。

おかしな癖のある時計だと思い、そのまま使うことにした。毎朝、七分の差を頭の中で引いて時間を読む生活が始まった。

ところが十日ほど経ったある朝、電話が鳴る前に私は受話器へ手を伸ばした。

気づいたのは後からだった。着信履歴を確認すると、鳴り始めたのは一秒後だった。

翌日、駅で友人に会ったとき、彼女がまだ口を開く前に「久しぶり、元気だった?」と言ってしまっていた。

おかしい、とは思った。疲れているせいだ、と流した。

その週末、母の家に顔を出した。

「お父さんの時計、修理したんだけど、七分早くてね」

母は台所から出てきて、時計を見た。

しばらく間があった。

「お父さん、昔から七分早い人だったのよ」

「時計も?」

「時計も七分進めてたわ。『七分の余裕を持て』って口癖で。出かける前も、約束の前も」

帰ってから、父の古いノートを調べた。

死の前日のページに、時計の止まった時刻が鉛筆で書き留めてあった。

病院から意識を失ったと連絡が来た時刻の、ちょうど七分前だった。

その夜、眠れなかった。

夜中の二時過ぎ、気がつくと私は廊下に立っていた。

夢遊病は一度もない。

廊下の先に、背中が見えた。紺色のジャケット。肩の少し丸まった後ろ姿。父だ、と思う前に、後ろ姿は角を曲がった。

追おうとして、足が動かなかった。

代わりに腕時計を見た。

短針が、七分分だけ静止していた。

廊下の先、角を曲がる後ろ姿

誰もいないはずの廊下に、肩の丸まった後ろ姿だけが残っていた。

翌朝、時計が止まっていた。

メカニカルなのに、完全に静止していた。針は、昨夜のあの時刻を指していた。

スマホで確認すると、ぴったり一致していた。

修理に出そうと思ったが、手が動かなかった。ただ机の上に置いて、その場に立ち続けた。

夕方、スーパーからの帰り道、横断歩道の手前で足が止まった。

信号はまだ赤だった。

でも私は三歩先に踏み出していた。

しまったと思って戻ると、右から車が来た。変わる寸前に突っ込んでくる車だった。

私には見えていた。

来る前から。

時計が止まっても、七分の先読みは私の中に残っている。

あの夜、廊下で見た後ろ姿がいた場所へ、少しずつ近づいているのかもしれない。

七分先には、何がある。

まだ分からない。

でもそこは、父が最後に足を置いた場所だと思う。


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