放課後の帰り道。電柱の影がアスファルトを真っ黒に切り裂き、夕陽がすべてを不自然なほど赤く染め上げる時間。 私は友人たちと、他愛もない「影踏み遊び」に興じていた。この時間の影は、まるで意思を持っているかのように長く、鋭く伸びる。

放課後の帰り道、伸びる影

夕陽に切り裂かれたアスファルト。影は長く、鋭く伸びていく。

「捕まえた!」

友人の一人が、私の影の頭の部分を強く踏みつけた。その瞬間、足元から「ズシン」という、心臓に直接響くような重い衝撃が走った。 遊びはそこで終わるはずだった。だが、友人が足をどけても、私の影は地面に張り付いたまま動かなかった。私が一歩進んでも、二歩進んでも、影だけがその場に置き去りにされ、ゴムのように細長く伸びていく。

「……何これ、気持ち悪い」

友人たちは気味悪がって先に帰ってしまった。私は必死に自分の影を剥がそうとしたが、影はまるでコンクリートの一部になったかのように、微動だにしない。結局、私は自分の影をその場に残したまま、逃げるように家へと走った。

家に着く頃には、体がおかしなほど軽くなっていた。階段を上る足取りには重みがなく、まるで風船のように浮き上がってしまいそうだ。洗面所の鏡を覗き込むと、そこには顔色の悪い私が映っていたが、何かが決定的に欠けていた。 私の足元には、あるはずの影が一切なかった。

影がない。それは、自分という存在をこの世界に繋ぎ止める「重り」を失ったということだ。

深夜、自室で眠れずにいた私の耳に、奇妙な音が届いた。 ペタ……。ペタ……。 それは濡れた雑巾が床を這うような、平坦で湿った音だった。音と共に、部屋の温度が急激に下がっていく。吐く息が白くなり、肌に鳥肌が立つ。窓の方を見ると、カーテンの隙間から、真っ黒な「何か」が滑り込んできた。カーテンが風もないのに揺れ、その隙間を這うように広げていく。

深夜、忍び寄る影

それは地面という牢獄から逃げ出し、自由な肉体を探して彷徨っている。

それは、立体感のない、真っ黒なシルエットだった。他人の影だ。いや、よく見ると、その影の中に無数の顔が浮かび上がっている。叫ぶ口、泣く目、狂った笑顔——。全てが重なり合い、溶け合い、一つの黒い塊となっている。

地面という牢獄から逃げ出し、自由な肉体を探して彷徨っている、持ち主を失った影たち。彼らは踏みつけられ、引きちぎられ、太陽に焼かれ、狂気に堕ちた存在だ。

影のない私の体は、彼らにとっては最高の「空き家」だった。新鮮な肉体、温かい血液、動く骨格——。全てが彼らの渇望を呼び覚ます。

「やめて、来ないで!」

叫ぼうとしたが、影のない私の体からは、実体のある声が出ない。音は空気を震わせることなく、ただ虚空に消えていく。

その黒い平面は、私の足元からゆっくりと這い上がり始めた。足首に触れた瞬間、凍傷のような激痛が走る。皮膚が黒く染まり、感覚が奪われていく。膝、太もも、腰——。影が這い上がる部分から、私の体は徐々に平面化していく。三次元の肉体が、二次元の影へと圧縮されていく感覚。骨が砕かれ、内臓が潰され、全てが薄い平面に押し込められていく。

痛い。痛い。痛い。

だが、悲鳴は出ない。喉すらももう影に侵食され、機能を失っている。

影が胸まで達した時、私は「彼ら」の記憶が流れ込んでくるのを感じた。何百年も地面に張り付いたまま、踏みつけられ続けた苦痛。太陽に焼かれ、雨に打たれ、雪に埋もれた絶望。そして、自分が何者だったのかすら忘れていく恐怖——。

墨汁を流し込まれたような冷たさが全身を支配し、私の魂は押し出されるように、床の平面へと吸い込まれていった。

最後に見えたのは、私の体を乗っ取った影が、私の顔で微笑む姿だった。

翌朝。 母が部屋のカーテンを開けた。 「いつまで寝てるの、遅刻するわよ」 「……うん、今起きる」

ベッドから起き上がった「私」は、鏡の前で微笑んだ。その顔は私のものだが、瞳の奥には冷たい闇が渦巻いている。 そして、ふと足元を見た私は、声にならない絶叫を上げた。

私の足元には、地面に張り付いたまま、必死に助けを求めて手を振っている、本物の「私」の形をした影が揺れていた。口を大きく開けて叫んでいるが、音は出ない。手を伸ばしているが、届かない。

肉体を手に入れた影と、影にされてしまった私。

母は気づかない。食卓を囲む「私」が、ほんの少しだけぎこちなく、ほんの少しだけ冷たい笑みを浮かべていることに。

今日から、私は誰かに踏まれ続け、決して言葉を発することのできない、地面の染みとして生きていくのだ。

雨の日には水たまりに溶かされ、晴れの日には太陽に焼かれ、雪の日には凍りつく。それでも消えることはできない。影は死ねない。ただ永遠に、この平面の牢獄で苦しみ続けるしかない。

そして最も恐ろしいのは——。

時々、足元の影の中に、他の顔が見えることだ。私より先に、影にされた人たちの顔。彼らは私に訴えかけてくる。

『助けて』 『痛い』 『殺して』

私もいずれ、彼らと同じように、新しく影にされた誰かの足元で、声にならない悲鳴を上げ続けることになるのだろう。

母の足元で揺れる私の影。それは今日も、必死に何かを訴え続けている。

だが、誰もそれを見ようとはしない。

影は、いつだってそこにある。けれど、誰も見ない。

それが、私たちの地獄。