共有ベランダと隣家の窓。水滴が並ぶ様子

僕が今のアパートに引っ越してきて、ちょうど三ヶ月になる。

築十五年の木造アパート。二階の角部屋を借りた。家賃は六万五千円。都心から電車で四十五分、でも静かで、ベランダが広く取れているのが決め手だった。

ベランダは二つある。主寝室に繋がっているメインベランダと、キッチンから出られるサブベランダだ。メインベランダは隣の家と直接つながっていて、フェンスも腰程度。隣人が洗濯物を出していたら、自然と目も合う距離だ。

引っ越して一週間目、初めて隣人を見た。大家さんから「向こうは空室です。次の入居者を探しているところです」と聞いていた通り、ベランダには洗濯物もなければ、踏み跡もない。ガラス戸も開いていない。

問題はそこから始まった。

二週目のある夜、二十三時頃だったと思う。僕はリビングでテレビを見ていた。その時、ベランダから足音が聞こえた。

ドス……ドス……ドス……

重たく、ゆっくりとした足音。ベランダの端から端まで、往復している。

「隣がやっと入居したのかな」と思い、テレビの音量を少し上げた。足音は二十分ほど続いた後、消えた。

三週目。今度は深夜二時頃。また足音が聞こえた。今回はベランダだけでなく、隣の家の中で、部屋を移動する音がした。家具を引く音。ドアの開閉音。

もう一度大家さんに電話した。「向側は空室ですよ。たぶん野良猫かもしれませんよ」と言われた。

でも、猫が扉を開けたり、靴を履いた音を踏んだりしない。

四週目に入ったある日、僕はベランダに出た。メインベランダのガラス戸をこっそり覗いてみる。

暗い。でも月明かりで中が見える。

隣の家は、確かに空室だった。埃が積もったフローリング。家具の類は一つもない。ベランダの床にも、先週まであったはずの足跡が、消えている。

ほっとした。

その時だった。

ベランダの隅に、小さな水滴が一つあった。水滴は、端から端まで一直線に並んでいる。

水滴は、僕がいる方向を向いていない。

僕がベランダから目を離した瞬間、隣を向いている。

それから一ヶ月。足音は消えた。でも、ある朝ベランダに出たら、水滴がまた並んでいた。

今度は、水滴の向きが僕を向いていた。

大家さんに言った。「隣に入居しましたか?」

大家さんの顔色が、変わった。

「いえ、まだ空室ですよ。でも……」

彼は小さく息を呑んだ。

「一昨日、管理会社から連絡があって。このアパート、実は隣が二室に分かれているんですよ。壁の向こうは、もっと小さな部屋です。大家さんも気づいてませんでした」

その夜、足音が戻ってきた。

今回は、ガラス戸をノックする音だった。

コン。コン。コン。

毎日同じ時間。同じリズム。

昨日の朝、ベランダに出たら、水滴がまた並んでいた。

今回は、水滴が全部、内側を向いていた。

つまり、水滴は僕がいない方向を向いている。

隣の家の中で、誰かがベランダの方を向いて立っている。

でも、ベランダには誰もいない。

窓ガラスに、息を吹きかけた跡が、内側についていた。


僕は今もこのアパートに住んでいる。ベランダには出ない。カーテンも閉めたまま。でも、毎晩二十三時に、ガラス戸をノックする音が聞こえる。

コン。コン。コン。

昨日初めて思った。

この音、外からじゃない。

内側から聞こえてる。