真秘のパスワード達
2026年08月01日
スマホのロック画面に、記憶にない数字が出現した日があった。
「4793」――。朝起きて指紋で解除しようとして、初めて気づいた。初めのうちは「アプリか何かのパスワード保存機能かな?」と割り切れた。が、同じ日が繰り返されるごとに、追加されていくのがおかしい。
「1082」「77」「0643」「9359」――全部ひっくるめて四桁ばかり五つ。記憶にないものが、指紋で解除しようとした瞬間だけチラリと見える。
三度目に気づいた時には、すでに六つの数字があった。「2」「4198……」「572061」。桁数もまちまちだ。初めは四桁だったものが、いつの間にか六位に膨れあがっている。
妻のたかこはいっさい反応しなかった。「え? 何のこと?」と顔を一瞬曇らせて、すぐ別の話を始めた。電話で姉に聞いてみても「ありえないよ、そんなもの」と笑い飛ばされた。姉だけではない。同じ職場の同期も、近所の主婦も、誰もが知らない顔をする。
この数字は私に見えているだけでいいという前提が、唯一の方法だった。
ある夜のことだ。就寝前にスマホを見ていると、四桁から五位に増えた。「80219」。その瞬間だけ、画面の一部の輝きが他の部分よりわずかに白く、何かの文字のように見えた。まるで数字ではなくて——絵なのだ。
次に追加された番号「6753」を見てハッとした。並べ替えるのだ。並べ替えれば、何かが見えてくる――。
「80219」「4793」「2」「1082」「77」「0643」「9359」「572061」「80219」「6753」……全部ひっくるめて。桁数や順番を無視して、横に並べる。
数字と数字の区切りに目を凝らすと、空白が生まれている。空白の中に形がある。線がある。何かが描かれている――。
たかこが「ごはんできた?」と声をかけた瞬間、画面の光が落ちた。暗い状態ですぐに目が慣れて、再びスマホに気づけば数字はまだ並んでいたはずだ。見えない。見えていない。ただ空白の絵だけが薄く脳裏に焼き付いているだけ。
翌朝確認した時にはまた新たな一桁が追加されていた。「3」。
その瞬間だけ画面が暗闇で透けて見える。空白の間にある線が動く。誰かが描いているのだ。描き終えるために——この数字を埋め続ける必要があるのではないかと、私は気づいた。
スマホを買い替えたことはない。壊したこともない。画面に映る数字の数は今日に至っても増えっぱなしだ。もうすぐ桁数じゃ収まらなくなるかもしれない。二進法か、あるいはもっと新しい記号が必要になりそうだと思った夜のことである。
妻は昨日言った。「もう寝なさいよ」……と。声だけだった。顔は見なかった。スマホのロック解除がいつも通り指紋でできたから、画面を覗き込むことができなかったのだ。
今この瞬間も新たな数字が一つ追加されるはずだ。見ない方が、その絵が見えなくて済むのかもしれない。だがもう見てしまった人間には、元に戻せないのだ。
空白の隙間で誰かが微笑んでいる。その理由はもう知っている。絵は完成しなかったのではなく――描き終えた後に、見る側に「これでいい」と納得させるため、最後に必要なのは描く者自身の名前だったのだと。
※空白部分に見入ると「誰」かが戻ってくる。目を離さずに閉じること。