「スマートロックが、誰もいないはずの時間に玄関を開けた記録を残しはじめた」
2026年09月29日
知人の話なんだけど、今でも玄関のドアをノックする音に反応してしまうらしい。
知人の田中(28)は、去年の冬に一人暮らしを始めた。東京・中野区の築八年のマンション、二階、ワンルーム。家賃七万八千円。狭いけど、通勤に便利で、何より大家さんが大家さんなので管理費が安かった。
引っ越し当日、大家さんが渡してくれたのが新しいスマートロックだった。
「鍵の紛失が心配だから、これにしてね。指紋登録と暗証番号、両方使えるよ」
田中はありがたく受け取った。指紋三本、暗証番号二本、そしてアプリ経由の遠隔操作。スマホで玄関の施錠状況が確認できる。施錠・解錠のログもアプリに残る。セキュリティ面では、古いカギよりよっぽど安心だと思った。
引っ越して二週間が過ぎた、ある夜のことだった。
田中は寝落ちしていた。午後十一時半ごろ、スマホの通知が鳴った。
「玄関ドアが解錠されました 23:47」
田中は目を覚まし、スマホを確認した。確かに二十三時四十七分に解錠ログがある。でも田中は家にいた。リビングのソファでスマホを見ながら寝落ちしていただけだ。
「……アプリのバグかな」
そう思って、ログを確認した。施錠ログは午後七時十五分。帰宅した時刻と一致していた。それ以降、解錠の記録はなかった。
「ふっ、バグか」
田中はスマホを枕元に置き、眠りについた。
次の日、また通知が来た。
「玄関ドアが解錠されました 03:12」
午前三時十二分。田中は眠っていた。もちろん玄関には行っていない。
「おかしいな」
田中はログを確認した。解錠された後、再度施錠されている。つまり「開いて、また閉まった」という記録だ。
「誰かが入って、出ていった?」
田中は部屋の中を確認した。何も無かった。持ち物が減っているわけでもない。
「バグだろう」
田中は管理会社へ電話した。
「スマートロックのログがおかしいんです。誰もいないのに解錠の記録が残ります」
担当者は即答だった。
「スマートロックは sometimes ログのタイミングがずれることがあります。ファームウェアを更新すると直ることがありますので、アプリから更新してください」
田中はアプリを更新した。ファームウェアは最新だった。
でも、次の夜も来た。
「玄関ドアが解錠されました 02:33」
田中は眠れないので、スマホのログをリアルタイムで確認しながら寝た。二十三時四十七分。また鳴った。
田中はベッドから起き上がり、玄関へ歩いた。ドアは施錠されている。鍵穴をのぞいても、誰もいない。
田中はスマホでドアを解錠した。ドアは軽やかに開いた。廊下には誰もいない。
「……バグなんだ」
田中はドアを閉め、施錠した。その瞬間、スマホに通知が来た。
「玄関ドアが施錠されました」
田中は笑った。バグだ。バグに決まっている。
でも、その夜から、ログの解錠時刻が少しずつ早くなっていった。
二十三時四十七分→二十二時四十二分→二十一时三十五分→二十时二十分→十九时零五分。
田中は家にいた。帰宅したのは午後七時。それ以前に解錠されるはずがない。
田中は玄関の前に座り込んだ。スマホのログを画面に表示し、目を離さなかった。
午後八時。何も起きなかった。
午後九時。何も起きなかった。
午後十時。田中は疲れてきた。スマホを床に置き、背もたれにもたれかかった。
「玄関ドアが解錠されました 22:15」
田中が目を覚ました。画面には、二十二時十五分の解錠ログが光っていた。
田中は玄関へ走った。ドアは開いていた。
田中は飛び出した。廊下は暗い。階段の先も暗い。
「……誰かいる!」
応答はない。田中は自分の部屋に戻り、ドアを閉めた。スマホで施錠した。
次の日、田中は管理会社へ行った。
「スマートロック、交換してください。バグがおかしいです」
担当者は首をかしげた。
「バグじゃなくて、もしかしたら前の入居者の指紋が登録されたままかもしれません。ファームウェアのリセットが必要です」
田中はファームウェアのリセットをした。指紋も暗証番号も新しく登録し直した。
次の夜、田中は目を覚ました。午後二時。普段ならまだ働いている時間だ。
スマホを確認した。解錠ログが三つ並んでいた。
「玄関ドアが解錠されました 00:00」 「玄関ドアが解錠されました 00:00」 「玄関ドアが解錠されました 00:00」
午前零時。一日の変わり目。三回とも同じ時刻。
田中は恐ろしくなった。でも、それ以来、ログは正常になった。解錠は帰宅した時刻だけ。施錠は就寝前にスマホで押した時刻だけ。
田中は少し安心した。
「バグだったんだ」
一ヶ月後、田中はまたログがおかしいのに気づいた。
今度は解錠時刻ではなく、解錠方法が変だった。
「指紋認証で解錠されました」
田中は指紋を三本登録していた。でも、田中が登録したのは親指と人差し指だけ。薬指の指紋は登録していない。
「誰が薬指の指紋を持ってるんだ」
田中は再度管理会社へ電話した。担当者は言った。
「前の入居者のデータが残っている可能性が高いです。完全にリセットしましょう」
田中は完全にリセットした。新しい指紋を全部登録し直した。
でも、また起きた。
「指紋認証で解錠されました」
登録していない指紋。田中が登録していない薬指の指紋。
田中は、その夜、玄関のドアに耳を当てた。
静かだった。
でも、田中は気づいた。
解錠の時刻が、田中が玄関の前に立った時刻よりも、少しだけ早いのだ。
田中がドアノブに手をかけた瞬間、スマホが鳴った。
「玄関ドアが解錠されました」
田中はドアを開けた。廊下には誰もいなかった。
でも、田中は気づいた。
玄関の床に、水滴が一滴、落ちているのだ。
田中はそれを無視して、ドアを閉めた。
それから一週間後、田中は引っ越した。
スマートロックを外すことになった。大家さんは、田中の話を聞いて、少しだけ沈黙してから言った。
「……あの、前の入居者の方、お亡くなりになったんです。部屋を空けるまで、一年以上かかったんですよ」
田中は、その夜、新しい家で寝た。
でも、朝起きたら、スマホに通知が来ていた。
「玄関ドアが解錠されました」
田中が住んでいる部屋には、まだスマートロックは設置されていない。
でも、ログには残っていた。
田中は、そのスマホを捨てた。
でも、新しいスマホにSIMを差し替えると、また同じ通知が来た。
田中は、その部屋を二度と戻らなかった。
田中は今、別の地域で暮らしている。
でも、たまに、眠りが浅い夜に、スマホの通知が鳴る夢を見る。
「玄関ドアが解錠されました」
田中は目を覚ます。自分の玄関は、施錠されている。
でも、ドアの下から、水滴が滲み出ていることがある。