スマートロックの記録画面

知人の話なんだけど、今でも玄関のドアをノックする音に反応してしまうらしい。

知人の田中(28)は、去年の冬に一人暮らしを始めた。東京・中野区の築八年のマンション、二階、ワンルーム。家賃七万八千円。狭いけど、通勤に便利で、何より大家さんが大家さんなので管理費が安かった。

引っ越し当日、大家さんが渡してくれたのが新しいスマートロックだった。

「鍵の紛失が心配だから、これにしてね。指紋登録と暗証番号、両方使えるよ」

田中はありがたく受け取った。指紋三本、暗証番号二本、そしてアプリ経由の遠隔操作。スマホで玄関の施錠状況が確認できる。施錠・解錠のログもアプリに残る。セキュリティ面では、古いカギよりよっぽど安心だと思った。

引っ越して二週間が過ぎた、ある夜のことだった。

田中は寝落ちしていた。午後十一時半ごろ、スマホの通知が鳴った。

「玄関ドアが解錠されました 23:47」

田中は目を覚まし、スマホを確認した。確かに二十三時四十七分に解錠ログがある。でも田中は家にいた。リビングのソファでスマホを見ながら寝落ちしていただけだ。

「……アプリのバグかな」

そう思って、ログを確認した。施錠ログは午後七時十五分。帰宅した時刻と一致していた。それ以降、解錠の記録はなかった。

「ふっ、バグか」

田中はスマホを枕元に置き、眠りについた。

次の日、また通知が来た。

「玄関ドアが解錠されました 03:12」

午前三時十二分。田中は眠っていた。もちろん玄関には行っていない。

「おかしいな」

田中はログを確認した。解錠された後、再度施錠されている。つまり「開いて、また閉まった」という記録だ。

「誰かが入って、出ていった?」

田中は部屋の中を確認した。何も無かった。持ち物が減っているわけでもない。

「バグだろう」

田中は管理会社へ電話した。

「スマートロックのログがおかしいんです。誰もいないのに解錠の記録が残ります」

担当者は即答だった。

「スマートロックは sometimes ログのタイミングがずれることがあります。ファームウェアを更新すると直ることがありますので、アプリから更新してください」

田中はアプリを更新した。ファームウェアは最新だった。

でも、次の夜も来た。

「玄関ドアが解錠されました 02:33」

田中は眠れないので、スマホのログをリアルタイムで確認しながら寝た。二十三時四十七分。また鳴った。

田中はベッドから起き上がり、玄関へ歩いた。ドアは施錠されている。鍵穴をのぞいても、誰もいない。

田中はスマホでドアを解錠した。ドアは軽やかに開いた。廊下には誰もいない。

「……バグなんだ」

田中はドアを閉め、施錠した。その瞬間、スマホに通知が来た。

「玄関ドアが施錠されました」

田中は笑った。バグだ。バグに決まっている。

でも、その夜から、ログの解錠時刻が少しずつ早くなっていった。

二十三時四十七分→二十二時四十二分→二十一时三十五分→二十时二十分→十九时零五分。

田中は家にいた。帰宅したのは午後七時。それ以前に解錠されるはずがない。

田中は玄関の前に座り込んだ。スマホのログを画面に表示し、目を離さなかった。

午後八時。何も起きなかった。

午後九時。何も起きなかった。

午後十時。田中は疲れてきた。スマホを床に置き、背もたれにもたれかかった。

「玄関ドアが解錠されました 22:15」

田中が目を覚ました。画面には、二十二時十五分の解錠ログが光っていた。

田中は玄関へ走った。ドアは開いていた。

田中は飛び出した。廊下は暗い。階段の先も暗い。

「……誰かいる!」

応答はない。田中は自分の部屋に戻り、ドアを閉めた。スマホで施錠した。

次の日、田中は管理会社へ行った。

「スマートロック、交換してください。バグがおかしいです」

担当者は首をかしげた。

「バグじゃなくて、もしかしたら前の入居者の指紋が登録されたままかもしれません。ファームウェアのリセットが必要です」

田中はファームウェアのリセットをした。指紋も暗証番号も新しく登録し直した。

次の夜、田中は目を覚ました。午後二時。普段ならまだ働いている時間だ。

スマホを確認した。解錠ログが三つ並んでいた。

「玄関ドアが解錠されました 00:00」 「玄関ドアが解錠されました 00:00」 「玄関ドアが解錠されました 00:00」

午前零時。一日の変わり目。三回とも同じ時刻。

田中は恐ろしくなった。でも、それ以来、ログは正常になった。解錠は帰宅した時刻だけ。施錠は就寝前にスマホで押した時刻だけ。

田中は少し安心した。

「バグだったんだ」

一ヶ月後、田中はまたログがおかしいのに気づいた。

今度は解錠時刻ではなく、解錠方法が変だった。

「指紋認証で解錠されました」

田中は指紋を三本登録していた。でも、田中が登録したのは親指と人差し指だけ。薬指の指紋は登録していない。

「誰が薬指の指紋を持ってるんだ」

田中は再度管理会社へ電話した。担当者は言った。

「前の入居者のデータが残っている可能性が高いです。完全にリセットしましょう」

田中は完全にリセットした。新しい指紋を全部登録し直した。

でも、また起きた。

「指紋認証で解錠されました」

登録していない指紋。田中が登録していない薬指の指紋。

田中は、その夜、玄関のドアに耳を当てた。

静かだった。

でも、田中は気づいた。

解錠の時刻が、田中が玄関の前に立った時刻よりも、少しだけ早いのだ。

田中がドアノブに手をかけた瞬間、スマホが鳴った。

「玄関ドアが解錠されました」

田中はドアを開けた。廊下には誰もいなかった。

でも、田中は気づいた。

玄関の床に、水滴が一滴、落ちているのだ。

田中はそれを無視して、ドアを閉めた。

それから一週間後、田中は引っ越した。

スマートロックを外すことになった。大家さんは、田中の話を聞いて、少しだけ沈黙してから言った。

「……あの、前の入居者の方、お亡くなりになったんです。部屋を空けるまで、一年以上かかったんですよ」

田中は、その夜、新しい家で寝た。

でも、朝起きたら、スマホに通知が来ていた。

「玄関ドアが解錠されました」

田中が住んでいる部屋には、まだスマートロックは設置されていない。

でも、ログには残っていた。

田中は、そのスマホを捨てた。

でも、新しいスマホにSIMを差し替えると、また同じ通知が来た。

田中は、その部屋を二度と戻らなかった。


田中は今、別の地域で暮らしている。

でも、たまに、眠りが浅い夜に、スマホの通知が鳴る夢を見る。

「玄関ドアが解錠されました」

田中は目を覚ます。自分の玄関は、施錠されている。

でも、ドアの下から、水滴が滲み出ていることがある。