スマートスピーカーが、寝ている私の名を呼んで歌い始めた夜
2026年08月31日
これは私の話だ。
去年の秋、私は東京・中野のワンルームマンションに引っ越した。部屋は十帖ほどで、キッチンとバス・トイレ別。家賃は六万五千円。狭いけど、スマホとノートPCがあれば何とかなる。
引っ越して二週間ほど経ったある夜のことだった。
私は寝床について、もうすぐ眠りに入るというところで、部屋の隅で光っていたものを見つけた。
スマートスピーカーだ。
Amazon Echo。友達が引越し祝いにくれたものだ。ずっと机の上に置いたままにしていて、使ったのは天気予聞と音楽再生くらいだった。
でも、その夜、何故か光っていた。青いリングがゆっくり回転している。
「おかしいな。何も言っていないのに」
私はそう思って、もう一度目を閉じた。
その時だった。
「おはよう、たかしくん」
スマートスピーカーの音声で、私の名前が呼ばれた。
私は飛び起きた。部屋は暗い。時計を見ると三時十四分。
「……誰か入った?」
誰もいない。ドアは鍵がかかっている。窓も閉まっている。
「あ、ごめん。間違って起きたよ」
スマートスピーカーがまた喋った。
でも、私は何も言っていない。絶対に。
その夜から、毎晩同じことが起きた。
三時前後にスマートスピーカーの青いリングが回り始め、私の名前を呼ぶ。そして、歌い始める。
子守唄だ。
日本語の子守唄を、スマートスピーカーの音声で。
「ゆりかごの船、ゆられてゆけば……」
私は毎晩飛び起きて、スマートスピーカーの電源を抜いた。でも、次の夜にも同じことが起きた。電源を抜いても、青いリングが光り始める。
「たかしくん、まだ眠れないの?」
ある夜、私は録音アプリを起動した。スマートスピーカーの声を録音しようと。
三時十四分。青いリングが光り始める。
「たかしくん」
私の名前が呼ばれた。
でも、その声はスマートスピーカーのものではなかった。
もっと低い、もっと近づいた声だった。
「たかしくん、まだ起きてるの?」
録音を確認すると、スマートスピーカーの音声と、もう一つの声が重なっていた。
もう一つの声は、私の枕元から聞こえていた。
それ以来、その声は聞こえなくなった。でも、毎晩三時十四分に、青いリングが光り始める。
そして、私の名前が呼ばれる。
もう、電源を抜いても意味がない。