オレンジ色の夕陽が、まるで血のように赤い光を廊下に撒き散らしていた。窓枠の影は長く引き伸ばされ、鋭い檻の檻のように床を幾重にも塞いでいる。

夕暮れの廊下

血のような夕陽が差し込む、誰もいない廊下。

中学一年の私は、放課後の静まり返った北校舎を一人、足早に歩いていた。冬の夕暮れは足が速い。ついさっきまで生徒たちの喧響で満たされていたはずの空間は、今や冷たい沈黙に支配されていた。理科室に忘れたお気に入りの筆箱——。それを取りに戻るだけの、ほんの数分の作業のはずだった。

「急がないと、門が閉まっちゃう……」

自分の足音だけが、不自然なほど硬く響く。理科室の重い引き戸を開け、冷え切った実験机の上にぽつんと置かれた筆箱を掴んだ。その瞬間、廊下の壁にある古いアナログ時計が、私の視界に飛び込んできた。

四時四十四分

止まった秒針。世界が静止した瞬間。

四時四十四分。

心臓がドクンと跳ねた。時計の秒針は、まるで目に見えない力に抗うように小刻みに震え、そして完全に停止した。 不意に、周囲の空気が粘り気を帯びたように重くなる。次の瞬間、天井の隅に設置された古い校内放送のスピーカーが「ガリッ……ガガガッ……」と、耳を劈くようなノイズを吐き出し、あの音が鳴り響いた。

キーン、コーン、カーン、コーン……。

それは聞き慣れたキンコンカンコンというリズムではなかった。一音一音が異常に低く、奈落の底から響いてくるような不協和音。まるでお葬式の鐘を、怨念とともに無理やりつなぎ合わせたかのような、背筋を凍らせる旋律。

「嘘……。本当に鳴るなんて」

私の脳裏に、部活動の先輩たちが面白半分に語っていた噂がよみがえる。 『四時四十四分のチャイムが鳴り終わるまでに校門を出ないと、校舎の”忘れ物”として、永遠に組み込まれてしまう』

私は理科室を飛び出し、階段へと向かった。肺が焼けるような冷たい空気を吸い込み、全力で廊下を蹴る。三階から二階へ、二階から一階へ。 だが、おかしい。いくら階段を駆け下りても、見覚えのあるはずの一階の風景が見えてこない。踊り場を通るたびに、壁の掲示板は古びて黒ずみ、コンクリートには無数のひび割れが走っていく。

壁のひび割れ

壁の至る所に、かつての犠牲者たちの影が。

そのひび割れをよく見ようとした私は、息を呑んだ。ひび割れの一つ一つが、絶望に歪み、口を開けて助けを求める人間の「顔」の形をしていたのだ。目は虚ろに見開かれ、口は無音の悲鳴を上げている。その表情は、死の瞬間に凍りついたまま、永遠に苦痛を訴え続けている。

「……けて……ここに……いさせて……」

壁の中から、カサカサという乾いた枯葉のような声が重なり合って聞こえてくる。見れば、コンクリートの節々に、数年前に行方不明になった生徒が履いていたものと同じデザインの上履きや、錆びついた名札、千切れた制服のボタンが、化石のように埋め込まれている。それらはまだ新しく見えるのに、触れると石のように硬くなっている。

近づいて目を凝らすと、もっと恐ろしいものが見えた。壁の表面に、指の骨が埋まっている。歯も、髪の毛も、そして——目玉。ガラス玉のような目玉が、壁のあちこちに埋め込まれ、じっと私を見つめている。一つではない、十個、二十個、いや、もっと——。

彼らは間に合わなかったのだ。校舎の骨組み、柱、あるいは床のタイルそのものへと同化し、意思を持たない建材へと変えられてしまった。しかし完全に意識を失ったわけではない。壁の中に閉じ込められたまま、永遠に苦しみ続けているのだ。

チャイムの音が、さらに歪みを増していく。金属をヤスリで削るような不快な響きが頭蓋骨を直接揺さぶる。耳を塞いでも、音は骨を伝って脳の中枢に直接響いてくる。鼓膜が破れそうな痛みと、吐き気が襲う。

終わりが近づいている。校舎全体が、私を逃がさないと言わんばかりにミシミシと軋み、壁がじわじわと内側にせり出してくる。天井も低くなり、空間そのものが収縮している。このまま潰されてしまう——。

壁から伸びた手が、私の髪を掴んだ。振り払おうとするが、その手は石のように硬く、引きちぎられそうな痛みだ。制服の裾も、カバンも、靴も——あらゆるものが壁に引っかかり、私を引き戻そうとする。

私は必死の思いで一階の廊下へ辿り着いた。肺は焼けるように痛み、足は鉛のように重い。視線の先、昇降口のガラス扉の向こうに、夕闇に沈みかけた校門が見える。あとわずか五十メートル。いや、四十メートル。三十——。

「間に合え、お願い、お願い!」

しかし、学校という巨大な怪物が、最後の罠を仕掛けていた。廊下のリノリウムの床が、突然焼けた飴のように柔らかく溶け出したのだ。一歩踏み出すごとに足が深く沈み込み、靴の裏に粘着質な床が絡みつく。ズブズブと、膝まで沈んでいく。溶けた床は生温かく、まるで何かの内臓の中を歩いているかのようだ。

同時に、壁からは無数の、石膏を塗り固めたような白く冷たい「手」が突き出し、私の肩や制服を掴んで暗闇へと引き戻そうとする。服が破れる音がする。皮膚に爪が食い込み、血が滲む。その血を床が吸い込み、さらに粘度を増していく。

カーン……。

最後の一音が、空気を震わせながら重く、長く引き伸ばされた。私が昇降口のドアノブに指をかけ、冷たい金属の感触を確かめたその瞬間——チャイムの音が、刃物で断ち切られたようにプツリと途切れた。

「あ——」

叫ぼうとしたが、声が出なかった。ドアノブを掴んでいた指先から、急速に血の気が引き、石のように硬くなっていく。指の関節が固まり、曲げることができない。骨が——いや、骨そのものが石灰化していく。

視線を落とすと、自分の肌がざらついた灰色のコンクリートへと変貌し、着ていた制服の繊維が、床のタイルの一部として編み込まれていくのが見えた。織物の糸が一本一本、タイルの目地に吸い込まれていく。皮膚の下で、血管がセメントで満たされていくのが分かる。心臓の鼓動が遅くなり、重くなり、最後の一拍——。

恐怖も、痛みも、すべてが「無機質な静寂」に飲み込まれていく。私の意識は、冷たい校舎の意識の一部へと溶けていった。最後に聞こえたのは、壁の中から響いてくる、無数の声だった。

『ようこそ』 『仲間だね』 『もう逃げられない』 『永遠に、ここで』

翌朝。いつも通り登校してきた生徒たちが、理科室の壁の異変に気づいた。

残されたタイル

壁に新しく、不自然なほど鮮やかなタイルがはめ込まれていた。

昨日は確かに存在しなかったはずの、私が持っていた筆箱と全く同じ、鮮やかな模様のタイル。それが壁の低い位置に、まるで何十年も前からそこにあったかのように、静かにはめ込まれていた。

そのタイルの表面には、必死に外の世界へ手を伸ばそうとした少女の、指先の形をした凹凸が、かすかな痕跡として残されていた。そして、よく目を凝らすと、タイルの模様の中に、小さく歪んだ顔のようなものが見える。泣いているのか、叫んでいるのか——。

誰かがそのタイルに触れようとした瞬間、冷たい風が吹き抜け、天井のスピーカーから一瞬だけ、ノイズが流れた。

その中に、かすかに少女の声が混ざっていた。

『……助けて……』

だが、誰もそれに気づかなかった。

そして、その日の放課後。忘れ物を取りに戻る生徒が、また一人——。