23階の部屋、ドアベルが鳴る
2026年09月09日
僕は先月、都内のある高層マンションの23階に引越しした。
引っ越しの荷解きも終盤、深夜の11時過ぎのことだった。
スマホにプッシュ通知が来た。
「ドアベルが押されました」
スマートドアベルのアプリからリビングのモニターを見ると、エントランスのカメラ映像がリアルタイムで映し出されていた。
誰もいない。
エントランスには蛍光灯がぼんやりと光っていて、床にはゴミが一つ、転がっているだけだった。
「おかしいな」
僕はアプリの履歴を確認した。通知は3分前に来ている。押された時間は確かに記録されている。
誰かが押したのか、それとも誤作動か。
とりあえず忘れようと思った。
翌日のことだ。
今度は午後2時頃だった。
またプッシュ通知が来た。
「ドアベルが押されました」
モニターを見ると、またしても誰もいない。
ただ、エントランスの床に、先日のゴミとは別のもの——白い靴下が一枚、置かれていた。
真ん中がくぼんでいて、足が入っていた形跡がある。
「……誰かが脱いだのか?」
でも、誰もいない。
カメラの画角ではエントランス全体が映っている。靴を脱いで立ち去るなんて、ありえない。
僕は大家さんに連絡した。
「新居で引っ越し業者の人が来られたかもしれませんよ。エントランスにゴミが落ちてるって言ってましたけど」
大家さんは首をひねった。
「えー、引っ越し業者さんは昨日だけで、今日はお見えになってないと思いますけど」
その夜、僕は目をやりながら寝た。
スマートドアベルのアプリの通知が来ないよう、部屋のスピーカーを少し大きめにしている。
深夜1時47分。
ピッ、ピッ、ピッ——。
スマホの通知音で飛び起きた。
画面を見ると「ドアベルが押されました」とある。
そして、その下にもう一つ通知が。
「動きを検知しました」
動き。
エントランスで、誰かが動いたということだ。
僕はそっとスマホのモニター画面を開いた。
エントランスの映像には、蛍光灯の光がぼんやりと届いている。
床に白い靴下がもう一枚、増えている。
三枚目だ。
しかも、二枚の靴下は対になっている。
一足分、脱がれて、置いてある。
でもまだ、誰もいない。
ここで、僕は一つ気づいた。
スマートドアベルのアプリには、エントランスの映像の他に「ドアの前」の映像もあったはずだ。
23階の部屋のドアには、別のカメラがついている。
僕はそちらのカメラを開いた。
23階のエレベーターホール。
白い壁。二つのドア——エレベーターと、僕の部屋のドア。
誰もいない。
しかし、床に何かがある。
白い靴下が、もう三枚。
全部で四足分だ。
そして、一番新しい靴下——四枚目の靴下は、まだ形を保っていない。
くぼみが、奥に深く入っている。
足が入っていた。
今、入っている。
僕は息を止めた。
モニター画面の中で、23階のエレベーターホールの床に置かれた四枚目の靴下が、ゆっくりと——
ふわりと、持ち上がった。
靴下の中から、何かが立ち上がっている。
埃が舞い、蛍光灯の光が揺れた。
そして、靴下が完全に立ち上がった瞬間、モニター画面の右端——
エレベーターの扉が、ゆっくりと開いた。
中は暗かった。
暗いまま、開きっぱなしだった。
僕はスマホを握りしめたまま、モニター画面を見つめ続けた。
画面の中で、靴下から立ち上がった何かは、エレベーターの中へ、ゆっくりと歩み寄っていた。
そして、エレベーターの扉が、閉まりかけた。
その瞬間、僕の部屋のドアの向こうから、音がした。
ドタッ、と、重いものが床に置かれた音。
それから、静寂。
次の日、大家さんが来た。
「昨日、エレベーターのメンテナンスが入って、23階でちょっと止まっちゃったんですよ。ごめんなさい」
僕は言った。
「23階のエレベーターホールに、靴下が置いてありました」
大家さんは、しばらく黙っていた。
「……靴下ですか」
「四足、脱がれていました。新しい靴下です」
大家さんは顔を上げた。
「昨日、メンテナンスのスタッフが、靴下を履いてエレベーターに乗ったんですよ。でも、降りた時には靴下を脱いで、床に置いてあったそうです」
「なぜ、脱いだのですか?」
大家さんは目を伏せた。
「スタッフが言うには、エレベーターの中で、靴下が勝手に動いたって……」
「動かなくてはいけない理由があったんですか?」
大家さんは黙ったまま、腰のキーホルダーを外した。
23階のキーだ。
「僕も、ちょっと確認してきます」
大家さんが行ってから、二十分が経った。
戻ってこなかった。
僕はスマホのアプリを開いた。
スマートドアベルのエントランスカメラは、まだ生きている。
エントランスの床には、白い靴下が五枚。
対になっていない。
五枚目、片方の靴下だけ。
そして、その靴下のくぼみが、今も、くぼみ続けている。
奥に、深く、深く。
何かが入っている。
今、入っている。
入っている。
入っている。