23階のエレベーターホール、床に散らばる白い靴下

僕は先月、都内のある高層マンションの23階に引越しした。

引っ越しの荷解きも終盤、深夜の11時過ぎのことだった。

スマホにプッシュ通知が来た。

「ドアベルが押されました」

スマートドアベルのアプリからリビングのモニターを見ると、エントランスのカメラ映像がリアルタイムで映し出されていた。

誰もいない。

エントランスには蛍光灯がぼんやりと光っていて、床にはゴミが一つ、転がっているだけだった。

「おかしいな」

僕はアプリの履歴を確認した。通知は3分前に来ている。押された時間は確かに記録されている。

誰かが押したのか、それとも誤作動か。

とりあえず忘れようと思った。


翌日のことだ。

今度は午後2時頃だった。

またプッシュ通知が来た。

「ドアベルが押されました」

モニターを見ると、またしても誰もいない。

ただ、エントランスの床に、先日のゴミとは別のもの——白い靴下が一枚、置かれていた。

真ん中がくぼんでいて、足が入っていた形跡がある。

「……誰かが脱いだのか?」

でも、誰もいない。

カメラの画角ではエントランス全体が映っている。靴を脱いで立ち去るなんて、ありえない。

僕は大家さんに連絡した。

「新居で引っ越し業者の人が来られたかもしれませんよ。エントランスにゴミが落ちてるって言ってましたけど」

大家さんは首をひねった。

「えー、引っ越し業者さんは昨日だけで、今日はお見えになってないと思いますけど」


その夜、僕は目をやりながら寝た。

スマートドアベルのアプリの通知が来ないよう、部屋のスピーカーを少し大きめにしている。

深夜1時47分。

ピッ、ピッ、ピッ——。

スマホの通知音で飛び起きた。

画面を見ると「ドアベルが押されました」とある。

そして、その下にもう一つ通知が。

「動きを検知しました」

動き。

エントランスで、誰かが動いたということだ。

僕はそっとスマホのモニター画面を開いた。

エントランスの映像には、蛍光灯の光がぼんやりと届いている。

床に白い靴下がもう一枚、増えている。

三枚目だ。

しかも、二枚の靴下は対になっている。

一足分、脱がれて、置いてある。

でもまだ、誰もいない。


ここで、僕は一つ気づいた。

スマートドアベルのアプリには、エントランスの映像の他に「ドアの前」の映像もあったはずだ。

23階の部屋のドアには、別のカメラがついている。

僕はそちらのカメラを開いた。

23階のエレベーターホール。

白い壁。二つのドア——エレベーターと、僕の部屋のドア。

誰もいない。

しかし、床に何かがある。

白い靴下が、もう三枚。

全部で四足分だ。

そして、一番新しい靴下——四枚目の靴下は、まだ形を保っていない。

くぼみが、奥に深く入っている。

足が入っていた。

今、入っている。


僕は息を止めた。

モニター画面の中で、23階のエレベーターホールの床に置かれた四枚目の靴下が、ゆっくりと——

ふわりと、持ち上がった。

靴下の中から、何かが立ち上がっている。

埃が舞い、蛍光灯の光が揺れた。

そして、靴下が完全に立ち上がった瞬間、モニター画面の右端——

エレベーターの扉が、ゆっくりと開いた。

中は暗かった。

暗いまま、開きっぱなしだった。

僕はスマホを握りしめたまま、モニター画面を見つめ続けた。

画面の中で、靴下から立ち上がった何かは、エレベーターの中へ、ゆっくりと歩み寄っていた。

そして、エレベーターの扉が、閉まりかけた。

その瞬間、僕の部屋のドアの向こうから、音がした。

ドタッ、と、重いものが床に置かれた音。

それから、静寂。


次の日、大家さんが来た。

「昨日、エレベーターのメンテナンスが入って、23階でちょっと止まっちゃったんですよ。ごめんなさい」

僕は言った。

「23階のエレベーターホールに、靴下が置いてありました」

大家さんは、しばらく黙っていた。

「……靴下ですか」

「四足、脱がれていました。新しい靴下です」

大家さんは顔を上げた。

「昨日、メンテナンスのスタッフが、靴下を履いてエレベーターに乗ったんですよ。でも、降りた時には靴下を脱いで、床に置いてあったそうです」

「なぜ、脱いだのですか?」

大家さんは目を伏せた。

「スタッフが言うには、エレベーターの中で、靴下が勝手に動いたって……」

「動かなくてはいけない理由があったんですか?」

大家さんは黙ったまま、腰のキーホルダーを外した。

23階のキーだ。

「僕も、ちょっと確認してきます」


大家さんが行ってから、二十分が経った。

戻ってこなかった。

僕はスマホのアプリを開いた。

スマートドアベルのエントランスカメラは、まだ生きている。

エントランスの床には、白い靴下が五枚。

対になっていない。

五枚目、片方の靴下だけ。

そして、その靴下のくぼみが、今も、くぼみ続けている。

奥に、深く、深く。

何かが入っている。

今、入っている。

入っている。

入っている。