大家の請求書

これは、知人の田中が実際に経験した話だ。彼の名前は伏せておく。

田中は大阪・東大阪市の不動産管理会社で働いている三十代前半の男性。管理しているのは主に集合住宅で、現在二十三棟、約四百戸を担当している。その中の一栋、築四十年のアパート「緑風荘」で、去年の秋から奇妙な出来事が起きた。

緑風荘は二階建ての木造アパートで、一階に六戸、二階に六戸の合計十二戸。田中が管理を引き受けた当時は、ほぼ満室だった。しかし去年の夏から、入居者が次々と引っ越していく。引っ越しの理由はまちまちで、「結婚で別居」「仕事が変わった」「子供が学校を変わった」など、普通の理由ばかりだ。

問題は、八月の末に最終入居者が去ったところから始まった。

緑風荘の十二戸は、全部空になった。大家の山本という七十代の男性が、次の入居者を探すために不動産屋に営業をかけたが、物件の立地も悪く、築年数も古い。見つからなかった。

「もう一年ほど空室のまま、放置することになった」

田中は後日、そう報告を受けた。大家の山本は「いずれ見つかるさ」と平然としていた。

それから二ヶ月後、田中の会社宛に一通の封筒が届いた。差出人は緑風荘の大家・山本。中身は電気代の請求書だった。

「緑風荘は全戸空室。電気メーターも止まっている。請求が来るはずがない」

田中はそう思い、請求書の宛名を確認した。宛先は緑風荘の一棟二階、二階右側の部屋——部屋番号は204だった。

「204は空室だ。誰も住んでいない」

田中は請求書を無視し、会社でそのままファイルにしまった。

しかし一ヶ月後、再び山本から封筒が届いた。今度はガス代の請求書。宛名は再び204。

田中は少し不審に思い、現場へ向かった。緑風荘は夕暮れ時だった。周囲は静かで、風が建物の隙間を通り抜ける音が聞こえるだけだ。

二階の廊下へ上がると、204のドアの隙間から、かすかに明かりが漏れていた。

「電気は止まっているはずだ」

田中はそう思いながら、204のドアノブに手をかけた。冷たかった。回そうとすると、中で鍵が動く音がした。

中から、誰かが鍵をかけている。

田中は後で、管理会社のデータベースを確認した。204の契約は、最終入居者が去った八月末日で終了している。それ以降、新たな契約は存在しない。

しかし電気メーターの記録を見ると、八月以降、204で電気の使用量が少しずつ増えている。九月は十五キロワット。十月に入ると、三十キロワットに達していた。

「誰も住んでいない部屋で、なぜ」

田中は再度、204へ向かった。夜中の二時。現場は暗く、周囲には他の家明かりは一つもない。204の窓から、明かりが灯っているのが見える。

田中は窓ガラスをのぞき込んだ。

部屋の中は明るく、テーブルの上には食事が並んでいた。湯気が立っている。

しかし、部屋の中に入っているはずの誰もいない。

テーブルには、二つの皿が置かれていた。箸も二本。

田中は後で、大家の山本に電話で確認した。

「204、今だれが入っていますか」

山本はしばらく黙ってから、小さく言った。

「……誰もいませんよ。空室です」

その夜、田中は204のドアを蹴った。開かなかった。中で、食器を片付ける音が聞こえた。

それから一週間後、田中のもとに山本から電話がかかってきた。

「204の電気メーター、止まったよ。もう使っていない」

田中が現場へ行くと、204の窓から明かりは消えていた。電気メーターの針も、完全に止まっていた。

しかしその次の日、別の部屋——101の大家宛に、101の電気代の請求書が届いた。

101にも、現在入居者がいる。普通の部屋だ。

田中は請求書を破り捨てた。しかしその次の月、101の請求書の代わりに、今度は204の名前で、また新たな請求書が届いた。

宛名は204。しかし中身の詳細には、101のメーター番号が記載されていた。

田中はそれから、204の部屋の鍵を全部取り替えた。電気メーターも、管理会社が直接、遮断器を切る作業を行った。

しかし請求書は、今も届き続ける。

宛先は204。しかし、中身は別の部屋のデータになっている。

田中は言う。

「204には、誰も住んでいない。でも、住んでいるように見える」