「深夜の自動販売機で、投じた硬貨が戻ってくる話」
2026年08月18日
これは、友人の佐藤が実際に経験した話だ。彼の名前は伏せておく。
佐藤は東京・足立区の物流会社でトラックの運転手をしている。三十代半ば、既婚、子供は一人。毎晩深夜二時頃から朝六時まで、都内を走っている。ルートは決まっている。倉庫を出て、荒川を渡り、埼玉県の工場を回り、また戻ってくる。単純作業だ。退屈だからと彼はよくラジオを聞いていた。
その晩、彼は埼玉県三郷市の国道沿いを走っていた。深夜二時四十分頃。道は真っ暗で、周囲には田んぼが広がっている。たまたま見つけた自動販売機に停車した。コーヒーの缶コーヒーが飲みたくなったのだ。
自動販売機は道の右側、少しだけ路肩が広がった場所に設置されていた。周囲には建物がない。田んぼの端に、ただ一つポツンと立っている。蛍光灯のような白い光が、自動販売機の前面を照らしている。
佐藤は車から降り、自動販売機の前へ行った。100円玉を三枚握りしめている。いつも通り、缶コーヒーを選び、100円玉を投入口へ入れた。カチッ、カチッ、カチッ。三枚目を入れる瞬間、彼はふと周囲を見回した。
何も見えない。ただの田んぼだ。
缶コーヒーが排出されるのを待っている。カチッ、カチッ。機械の音が静かな夜に響く。そして、缶コーヒーが排出された。彼がそれを取ろうとしたその時だった。
自動販売機から、カチッ、カチッ、カチッという音がした。
投入した100円玉が、戻ってきたのだ。
佐藤は驚いて投入口を覗き込んだ。三枚の100円玉が、勢いよく機械の中から弾き出され、地面に転がっていく。彼は慌ててそれを探した。田んぼの畔の泥の中に、三枚の硬貨が光っている。
「なんでだろ」
彼はそう言って、車に戻った。特に気にせずに。機械の不具合だろうって。
しかし、その翌晩から話が動き出した。
佐藤が同じルートを走っている時、またあの自動販売機の前で停車した。昨夜と全く同じタイミング。深夜二時四十分。またもや缶コーヒーが飲みたくなった。
自動販売機の前へ行く。100円玉を投入口へ入れる。カチッ、カチッ、カチッ。
そして、カチッ、カチッ、カチッ。
また戻ってきた。三枚の100円玉が、まるで誰かが手投げするように、勢いよく機械の中から弾き出される。
佐藤は立ち尽くした。二度目はたまたまだ。でも三度目も同じことが起きた時、彼は背筋が凍るのを感じた。
三度目の夜、彼は自動販売機の横に隠れて、観察することにした。深夜二時四十分。自動販売機の白い光が、周囲の田んぼを浮かび上がらせる。そして、カチッ、カチッ、カチッ。
硬貨が戻ってくる。
でも、その時だった。
自動販売機の反射板に、佐藤の後ろに誰かが立っているのが映った。
佐藤は振り返った。誰もいない。ただの田んぼ。
しかし、自動販売機の反射板には、佐藤の後ろに、もう一人の影がはっきりと映っていた。それは佐藤よりも先に見えた。つまり、影は佐藤が振り返る前に、すでに佐藤の背後にいたのだ。
佐藤は走って車に戻った。それ以来、そのルートは走っていない。新しいルートを担当してもらった。
でも、彼は今でも不思議に思っている。
あの自動販売機は、何のためについていたのか。周囲には建物がない。田んぼの端に、ただ一つ。そして、硬貨を戻す機械が、なぜ必要だったのか。
投入口から硬貨が戻ってくるのは、何かを「拒絶」しているからではないか。
あるいは——
投入口から硬貨が戻ってくるのは、何かを「受け取らせる」ためではないか。
佐藤はそう思うと、背筋が凍るのを感じた。
なぜなら、三度目の夜、影が映った反射板をもう一度見た時、彼ははっきりとその影の顔を認識したからだ。
その影は、佐藤に微笑んでいた。