深夜の自販機

実話です。友人がコンビニの深夜バイトをしていた時の体験談です。

友人は大学四年の夏、学費を稼ぐために二十四時間営業のコンビニで働いていた。シフトは深夜二時から朝九時。通称「夜勤」と呼ばれる時間帯だ。

店はずっと静かだ。客が来ない夜中、友人は店長の許可を得てバックヤードの隅に設置された机で勉強していた。コーヒーを淹れて、参考書を開いて。夜勤の退屈は、ある意味で平和だった。

ある真夏の深夜、気温は三十五度を超えていた。冷房が効きすぎている店内は、外とは別世界のようだった。

友人が参考書を閉じて目を閉じた時、ふと耳に入った。

ペチャン、と何かが床に落ちる音。

友人が目を開けた。店内には誰もいない。自動販売機の前のフロアマットに、水滴が広がっていた。

「また冷媒ガスが漏れているのか」

そう思い、友人は自動販売機の方へ歩いた。冷房のドレン排水管が壁から伸びていて、その先には二台の自販機が並んでいる。

しかし、水滴は自販機の下ではなく、自販機の前だった。まるで誰かが立ち、コップの水をこぼしたような形跡。

友人は怪しんで自販機のパネルを拭き始めた。その時だった。

自販機の照明が、ゆっくりと暗くなり始めた。

全体が黒くなるのではなく、パネルの光が少しずつ消えていく。ボタン一つ一つが、黒い穴になっていく。

友人は后退した。その時、自販機のディスプレイに、数字が現れた。

3:47

「今、正確に三時四十七分だ」

友人は腕時計を見た。確かに三時四十七分。

そして、自販機のディスプレイに、もう一つの変化が起きた。商品番号が、一つずつ点灯し始めた。

010。011。012。

通常、商品番号はすべて同時に点灯している。それが、一つずつ、左から右へ、ゆっくりと光っていく。まるで誰かが、商品を選ぶように。

友人は動けなかった。その時、自販機の中から、冷たい風が吹き出した。

夏の深夜。冷房の効いた店内。それ自体は不思議ではない。

しかし、その風が、人間が息を吹きかけた時の温もりを、わずかに含んでいたのだ。

「誰かいる」

友人は叫びたかった。しかし声は出なかった。

自販機のディスプレイが、再び点灯した。表示されたのは、一つの商品番号だけ。

009。

友人がその商品名を思い出した。コーラ。自販機で一番安い商品。

そしてその時、硬貨投入口に、音がした。

ポチ、ポチ、ポチ。

硬貨が投入される音だった。友人は投入口を見た。何も見えない。しかし、硬貨が入るたびに、ディスプレイの商品番号が切り替わっていく。

009。009。009。

同じ商品が、三回選ばれた。

そして、販売開始のブザーが鳴った。

レバーが下がり、商品が落ちてくる音。

しかし、商品受け取り口から出てきたのは、飲料缶ではなかった。

友人が近づいて見た。受け取り口の隅に、小さな、黒い物が転がっていた。

貝殻だった。

海から何百キロも離れた、都心のコンビニの自販機から、貝殻が出てきた。

友人は貝殻を拾い上げた。貝殻は、冷たかった。氷のように冷たく、触れた指はすぐにしびれた。

その時、貝殻の中から、音が聞こえた。

波の音。正確に、波が打ち寄せる音。

しかし、その波の音は、止まなかった。三十分経っても、一時間経っても、貝殻から波の音が聞こえ続けた。

友人は貝殻を自販機の受け取り口に戻した。しかし、貝殻は、受け取り口から落ち、床に転がったままだった。

その後、友人は貝殻を捨てた。ゴミ箱に捨てた。

次の朝、ゴミ箱を見ると、貝殻は消えていた。代わりに、ゴミ箱の中に、水滴が広がっていた。

友人は、その夜以降、その自販機の前を通らなくなった。

今でも、その自販機が何を生んでいるのか、友人は知らない。

ただ一つだけ確かなことがある。

もしあなたが、深夜に自販機の前を通った時、自販機の照明がゆっくりと暗くなり始めたら、その場を離れなさい。

それは、自販機が眠っているからではない。

自販機が、誰かを待っているから。