壁の向こうの影

知人が話していたことだが、今でもその夜を思い出すと、背筋がゾクゾクするという。

知人は二十八歳、大阪の梅田にある高層マンションの十五階に住んでいる。二階建ての一戸建てではなく、分譲マンションの十五階。部屋は二DKで、壁一面が隣室と接している。

最初はその違いに気づかなかった。

引っ越して二ヶ月目、知人はあることに気づいた。壁の向こうに住んでいる隣人の生活音が、毎日決まった時間に聞こえていたのだ。

朝七時頃に洗濯機の回転音。昼十二時頃に包丁を置く音。夜八時頃にはテレビの音声。そして夜十一時頃には、誰かが歩いている足音。

「隣の人、生活リズムがめっちゃ整ってるな」と、知人はちょっと感心するくらいに思っていた。

だが、十一月のある水曜日、壁の向こうから音がしなくなった。

最初は「ちょっと早々に寝たのかな」と思った。だが、翌日になっても、その翌日になっても、壁の向こうから音が聞こえてこない。

知人は大家さんに電話した。

「隣さん、もしかして旅行でもされているでしょうか」

大家さんは調査に来て、隣室のドアをノックした。返事はない。ドアを開けて中を確認したが、隣室は綺麗に片付けられていて、生活感があったものの、人が住んでいる痕跡は消えていた。

「あー、引っ越されたかもしれませんよ。でも、引っ越しの連絡とかありませんねえ」

知人はなんとなく違和感を覚えた。

そして、その夜、知人はまた音に気づいた。

壁の向こうから、包丁を置く音。

十二時ちょうどに。

「隣、引っ越したはずなのに……」

知りは夜中、壁のそばに耳を当てて聞いた。すると、壁の向こうから、かすかだが、誰かが歩いている足音も聞こえた。

でも大家さんは、隣室に誰もいないと言った。

そして三日後、壁の向こうからまた音がしなくなった。今度は二度と戻ってこなかった。

知人が大家さんに再度確認すると、大家さんは困った顔で言った。

「いえ、今も隣室は空室ですよ。でも、管理会社からは『もう引っ越した人はいない』って言われています」

知りは、今でも夜、壁のそばを通るたびに、壁の向こうから音が聞こえるんじゃないかと思ってしまう。