このCRTは何を見るのか不明
2026年08月01日
叔父の遺品整理で、ベニヤ箱の中から1台の大判ブラウン管テレビが出てきた。Sony Trinitron CPD-G200、製造番号が薄れて読めない。電源コードも付いてきている。
試しにコンセント差してスイッチを入れた。「カチッ」と軽快なリレーの音と同時に画面が白く点灯した。ノイズ、ノイズ、白い砂嵐。
すると砂嵐が静まったのではなく「凍結」した。まるで止まらない写真のように、画面全体に一枚の風景が表示されている。
しかし数秒後に砂嵐は静まったのではなく「凍結」した。まるで止まらない写真のように、画面全体に一枚の風景が表示されている。
リビング、天井とクローゼットが映っている。自分たちの部屋の真上だ。
父が「おい、今の何だぞ?」と言った瞬間、画面が切り替わった。次は都会の交差点、信号を待ってる人が数人いる午後のタイムラグのあるシーンだった。どこか東京近郊の路地だろう。
叔父はその交番近くの路上で倒れていた。現場検証も「自然死」ですっきり終わっていたが、どうやら彼の日々の生活の一部として、家の外の世界を映すものがこのTVは残されていたらしい。
画面は12分ごとに自動でローテーションする。同じ場所のリアルタイムを、12分前に撮影された画像と入れ替わり、12分先の映像が一瞬だけ滲むときがある。
私はそのうちの一台をもう見ないことにした。
ある日の夜中、たまたま画面を見たら自分の部屋が映っていた。正確には今よりも十数年後らしい年配者の背中に写る自分と妻の寝顔だった。ベッドから離れて、その夫婦は静かにリビングへ向かっている。しかし夫の手が、枕元に置いてあった何かにつまずいて一瞬立ち止まる。
画面に切り替えがなかった。
TVは12分間のスナップショットを繰り返すのではなく、時が経つ毎に少し先を進んでいくのだとわかった。叔父が死んだあとこのTVは自分自身の世界にループし続けているらしい。
朝になると画面には白い砂嵐が残る。だが今日砂嵐の隙間から指の形が見える。握ったままの手だ。